朝ごはんに白米を炊くのをやめたのは、特に大きな理由があったわけじゃない。ただ、ある日を境に、自然と炊飯器の蓋を開ける気持ちが湧かなくなった。
代わりに手に取るようになったのが、まいばすけっとの79円おにぎりだ。
最初は「今日は炊くのが面倒だな」という、小さな怠け心だったと思う。炊飯器を洗って、水を測って、セットして、炊き上がるまで待つのだ。その一つひとつのプロセスが、朝の時間には少し重たく感じた。ひとり暮らしだと、そういう“面倒”が突然大きくなる瞬間がある。
79円おにぎりを買うようになってから、朝の景色が少し変わった。
家の鍵を閉めて、まいばすけっとまでのほんの数分を歩く。その短い距離のあいだに、冷たい空気を吸い込んで、みずみずしい朝の光を浴びる。以前は炊飯器の前でぼんやりしていた時間が、ちょっとした散歩の時間に変わった。
レジでおにぎりを1つ買う。
種類は日によって違うけれど、梅も昆布もツナマヨも、どれも79円という気軽さが心地いい。値段の安さに助けられている部分は確かにあるけれど、それ以上に「これで十分」という感覚が自分の中に広がっていくのが分かった。
家に戻って、朝の静けさの中でおにぎりを食べる。
白米を炊いたときのような“ちゃんとした朝食を作った感”はないけれど、逆にその気軽さが今の生活にはちょうどいいです。ひとつのおにぎりが、胃袋だけでなく、思考も軽くしてくれる感じがする。
朝ごはんのハードルが下がったことで、朝の心の余白が少し増えた。
決められた手順をちゃんとこなさなきゃ、というプレッシャーもない。
“朝はこうあるべき”というルールから、ふっと解放された気がした。
不思議なもので、習慣はいつの間にか形を変える。
白米を炊いていた頃の自分が悪いわけじゃないし、今のおにぎり生活が正解というわけでもない。ただ、今の自分にはこの軽さが合っている。それだけのことだ。
ひとり暮らしの朝は誰に見せるわけでもない。
だからこそ、自分が心地よくいられる選択をすればいい。79円のおにぎり1つで始まる朝は、思った以上に悪くない。むしろ、なぜもっと早くこうしなかったのかと思うくらい、しっくりきている。
今日もきっと、まいばすけっとに寄って、おにぎりを1つ買うだろう。
それでいい。それがいい。
ひとりの朝には、そのくらいの軽さと自由さがちょうどいい。


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