予定のない一日。静かに過ごす“ひとり時間”で気づいたこと

ひとり時間

今日は特に予定がなかった。朝起きてカーテンを開けた時、街は薄い雲に包まれていて、なんとなく世界の音がすこし弱くなったように感じた。こういう日は、焦らずに呼吸を整えるのが正解だと思った。

午前中は部屋の片付けをした。見慣れた景色の中でも、少し場所を変えるだけで空気が変わるのが不思議だ。散らかった机に積んでいたメモを整理しながら、過去の自分と少し対話している気分になった。「あの時はこんなこと考えていたのか」と苦笑したり、「今もこれ大事かも」と思い直したり。

昼前、ふらっと散歩に出る。目的は決めない。スマホのマップも立ち上げず、足の向くまま歩いた。信号待ちでふと横を見ると、ベンチに座ってひとりで本を読んでいる人がいた。集中している表情が良かった。ひとりの時間をちゃんと楽しんでいる感じが伝わってきて、なんだかこちらも嬉しくなった。

近所のコンビニでおにぎりを買い、ゆっくり食べた。外でひとりで食べると、味が少し違う気がする。作業の手を止めて、ただ食べるという行為に集中できる。誰にも気を使わない時間は、思ったより贅沢だ。

午後は家に戻り、少しだけネットを眺めた。みんな忙しそうに働いていて、勉強していて、挑戦していて、“動かなきゃ置いて行かれる”という空気を少し感じた。でも今日は、そういう気持ちを横に置くことにした。競争から離れないと見えなくなる景色もある。

夕方、窓から差し込む光が部屋の角に柔らかく落ちていて、季節がひとつ進んだことを肌で感じた。時間は静かに動いている。焦らなくても、進んでいる。

夜はお気に入りの音楽を流しながら、湯船に浸かった。風呂場の静けさは、日中より深い。ふと考え事が浮かんだかと思えば、湯気と一緒にすぐ溶けて消える。そういう瞬間が好きだ。

ひとりの日は、誰にも評価されない。でも、誰にも邪魔されない。「何もしなかった日」を責める必要はない。むしろ、そういう日があるから、動く日の足取りが軽くなる。

明日は少し予定がある。今日の静けさが明日の自分を支えてくれるはずだ。ひとりは、嫌われ者じゃない。時々しか会えない友達だ。

今日の気づき:
“ひとり”は空白じゃなく、余白。

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