40代ひとり親が、息子の大学合格祈願に行った日のこと

ひとり旅

― 静かに願い、静かに覚悟したソロ時間 ―

息子の大学受験。40代の私が「一人で行こう」と決めた理由

40代になってから、子どもの成長のスピードがさらに早く感じるようになった。
息子が大学受験を迎えた今年、私はひとりで合格祈願に行くことを決めた。家族揃って行くのも良いけれど、今回は不思議と「自分だけで行きたい」という気持ちが強かった。

朝のまだ冷たい空気の中、駅を降りて神社へ向かう道を歩く。
平日ということもあり、参道にはほとんど人がいない。
足音だけがコツコツと響き、その静けさが自然と気持ちを落ち着けてくれる。

40代という年代になると、仕事・家庭・健康、すべてのバランスを取るのが難しくなる。
そんな中で、一人で神社に向かう道のりは、自分自身の気持ちに向き合う時間にもなった。


拝殿の前でこみあげた「親としての願い」

拝殿の前に立つと、胸の奥にぎゅっとした感情が湧いた。
息子がここまで頑張ってきた姿を思い出す。
模試の結果に落ち込んでいた日、深夜まで勉強していた日、そしてこれまで家族で支えてきた時間。

「どうか、息子の努力が報われますように」

手を合わせた瞬間、静かな境内に心が吸い込まれるようだった。
願うという行為は、実は“祈り”以上に“親としての覚悟”の確認なのかもしれない。
子どもをコントロールするのではなく、信じて待つ。
親の役割は、いつの間にかそういうステージに変わってきていた。

絵馬を書きながら、息子の名前を書く手が少し震えた。
なんだかんだ言っても、親として焦りも不安もある。
それでも最後にできるのは「信じて願う」ことだけだ。


ソロで合格祈願に行く意味は大きかった

一人で参拝なんて少し寂しいかと思っていたが、実際はまったくそんなことはなかった。
むしろ、ひとりで来て良かったと思える時間だった。

・自分のペースでゆっくり歩ける
・息子との思い出を落ち着いて振り返れる
・誰にも言えなかった不安や気持ちを整理できる
・親としての“次のステージ”を自分で理解できる

ひとり時間は、想像以上に心の中を整理する力を持っていた。

40代になると、子どもはもう“背中を押す存在”ではなく、
自分で道を切り開く存在になる。
その転換点を、神社の静かな空気の中で強く実感した。


願い終わった帰り道。私の中に残ったもの

帰り道、境内の木々をゆっくり見上げながら歩いていると、
行きには感じなかった不思議な軽さが胸の中にあった。

「きっと大丈夫。息子は息子の道を見つける。」

祈願は不安を解消するための儀式ではなく、
“信じて任せる覚悟”を固めるための時間だったのだと思う。

40代の私がひとりで行った合格祈願は、
息子のためでありつつ、
実は私自身の節目の時間でもあった。

これから受験本番を迎える息子に、
「大丈夫だよ。あなたならできるよ。」と、
心から言えるようになったのは、
このひとり時間を過ごしたおかげかもしれない。

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