■ なぜか歩きたくなった日
その日は、少しだけ疲れていた。
体ではなく、頭の奥のほうが重い感じ。
やるべきことは分かっているのに、どこか気持ちが追いつかない、そんな日だった。
最寄り駅に向かえば、電車で20分。
何も考えずに乗れば、時間通りに目的地へ着く。
効率だけ見れば、それが正解だった。
でも、その日はなぜか、歩きたくなった。
■ 最初の10分は「後悔」と一緒に歩く
片道50分。
正直、近くはない。むしろ遠い。
歩き始めてすぐ、頭の中に浮かぶのは後悔だった。
「やっぱり電車にすればよかったかもしれない」
「なんでわざわざ歩いてるんだろう」
まだ“意味”が見えていない時間。
ただ足だけが前に進んでいる感覚。
■ 20分を超えると、世界が少し変わる
信号待ちでふと空を見上げる。
「あ、今日の空こんな色だったんだ」と気づく。
普段なら見ていない景色。
聞いていない音。
感じていない空気。
歩いているだけなのに、
少しずつ感覚が戻ってくる。
■ 頭の中のノイズが消えていく
20分を過ぎたあたりから、変化ははっきりしてくる。
仕事のこと
将来のこと
人間関係のこと
ぐるぐるしていた思考が、ゆっくりほどけていく。
歩くという行為は単純だ。
同じ動きを、同じリズムで繰り返す。
それが、考えすぎていた脳を静かにしてくれる。
■ 30分を過ぎて、ようやく“自分”に戻る
気づけば、少し前向きなことを考えていた。
「これ、別に悪くないな」
「こういう時間、最近なかったかもしれない」
焦りや不安が消えたわけではない。
でも、それに飲み込まれていない状態になっていた。
ただ歩いているだけなのに、
少しだけ自分を取り戻した感覚。
■ 効率では測れない時間
電車なら20分。
歩けば50分。
時間だけ見れば、明らかに非効率だ。
でもこの日、得たものは時間以上だった。
- 頭の整理
- 気持ちのリセット
- 自分との対話
効率では測れない価値が、そこにはあった。
■ わざわざ遠回りする意味
現代は、最短ルートが正義になりやすい。
早く
効率よく
無駄なく
それは間違いではない。
でも、ときどき思う。
「遠回りしないと見えないものもある」と。
■ ソロで歩く時間の価値
誰とも話さない。
何かをしなければいけないわけでもない。
ただ歩く。
その時間は、意外と貴重だ。
- 誰にも邪魔されない
- 自分のペースで進める
- 考えてもいいし、考えなくてもいい
ソロの時間だからこそできる、贅沢な使い方。
■ 結論:歩くことは「整える」ことだった
あの日、わたしは50分歩いた。
目的地に着いたとき、
体は少し疲れていたが、頭は軽くなっていた。
歩くという行為は、移動ではなく
👉 自分を整える時間だったのかもしれない。
■ 今日もまた、歩くかもしれない
次も同じ選択をするかは分からない。
疲れていたら、電車に乗るかもしれないし、
また歩きたくなる日が来るかもしれない。
でもひとつだけ分かったことがある。
👉 時間は短いほうがいいとは限らない。
ときには、50分の遠回りが、
自分を少し前に進めてくれることもある。


コメント