親戚のおばさんが結婚式で会食してるのを馬鹿にした。あとで思った、「人を笑う人は弱いだけだった」

ひとり時間

親戚の結婚式に参加したときのことだ。白無垢がきれいに映える神前式で、親族席は少し緊張感があった。披露宴に移って席に着き、料理が運ばれてきた頃、同じテーブルにいた親戚のおばさんが、少し大きな声で話しだした。

「うちの息子なんてさ、結婚式の料理よりファミレスのほうがいいって言ってたわよ。あはは!」

笑いが起きたが、その空気には軽い引っかかりがあった。
さらに続けて、おばさんは会食をしている親族の姿に向かって、

「みんな真面目に食べすぎ〜!なんか笑っちゃうよね」

と茶化すように言った。周りは愛想笑い。
その時の私は、なんとなく一緒になって笑ってしまった。空気に合わせて。深く考えずに。

でも家に帰ってから、なぜか胸の奥がズキッと痛んだ。

「人の真剣な場面を茶化して笑うって、かっこ悪かったな…」。
そして「あの時の自分は流されてしまっただけなんじゃないか」と感じた。

思い返せば、食事をしていた親族たちは、誰かの門出を祝う気持ちで丁寧に箸を進めていた。それを「笑う対象」にする必要なんてなかった。むしろ、ちゃんと向き合う姿勢の方が素敵だ。

それ以来、私は誰かを笑う前に、一呼吸するクセがついた。
「笑う理由は優しさか? それとも攻撃か?」と自分に問うようになった。

気づいたことがある。
人を馬鹿にして笑うのは強い人ではなく、自信がない人だあ。
そして、流されるだけの自分も弱かった。

結婚式の料理は、料理そのものではなく「その時間」を味わうものだと思う。
「この先、楽しく生きていこうね」「おめでとう」。
そんな祝福の気持ちも一緒に飲み込みながら、ゆっくり箸を動かす。
それが大人になるってことなのかもしれない。

今ならあの日、こう言えたと思うのだ。

「誰かの真面目さって、笑うもんじゃなくて尊敬するものだよねって」

少しだけ、昔の自分に胸を張れる。
あの経験があったから、人の弱さと強さの見え方が変わった。
ソロでもいい。ひとりの価値観で、正しいと感じたことを選べるようになったのだから。

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