今日、いつも通っているジムに向かった。
祝日の翌日ということを完全に忘れていた。家を出るときは、少し肌寒い空気の中に「今日もやるぞ」という気持ちがちゃんとあった。電車に揺られながら、今日は何をメインにやろうか、スクワットはどこまで伸ばせるだろうか…そんなことを考えていた。トレーニングのことを考えているときの自分は、いつも少し前向きだ。
ジムの前に着いた瞬間、違和感を覚えた。
入り口のガラス越しに、中が静まり返っている。誰もいない。受付の明かりもついていない。嫌な予感がして、扉の横に貼られている紙を見た。そこにはシンプルな文字でこう書いてあった。
「祝日の翌日は休館日です」
ああ、やってしまった。
その瞬間、頭の中で何かがふっと抜けたような気がした。片道30分。やる気もあった。準備も完璧。なのに、ジムは閉まっている。こういう日は、ちょっと笑えてしまう。
帰り道は、いつもよりゆっくり歩いた。
「行動したのに無駄になってしまった」という気持ちが胸の奥にあったけれど、不思議と落ち込みは小さかった。むしろ、「ここまで来れた自分は、今日も継続できていたんだ」と思えた。行動したからこそ起きた出来事であって、サボった日の後悔とはまったく違う。
歩きながら、自宅でもできるメニューを考えた。
今日はジムで追い込むつもりだったけれど、目的は“継続”だ。やる気があった日こそ、何もせず終わらせるのはもったいない。家に帰ったらプッシュアップを少しやって、スクワットを軽く回して、最後にプランクで締めよう。30分だけでも体を動かせば、今日という日は確実に前へ進む。
ジムに通っていると、こういう小さなズレや勘違いが年に何回か起きる。
祝日スケジュールの確認忘れ、営業時間の勘違い、スマホの充電切れで入館できなかった日…。どれもそのときは思わず苦笑いだけど、後から思い返すと「続けていた証拠」だとも思う。
今日もまた、その一つが増えた。
トレーニングは習慣であり、積み重ねであり、小さな選択の連続だ。行けると思って行動したこと自体がすでに小さな成功で、ジムが閉まっていたからといって、その価値が消えるわけではない。
家に着いたら、シャワーを浴びる前に少し汗をかこう。
その気持ちが残っているだけでも、今日の自分は悪くない。むしろ、こういうちょっとした出来事が、後で振り返れば自分の物語の一部になるのだと思う。
明日はしっかり開いている時間を確認してから向かおう。
また静かなジムで、自分とだけ向き合う時間を取り戻すために。


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