19歳のとき、なぜか『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』にどっぷりハマってしまった

Solo Emotion|ひとり感情

19歳のころ、私は『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』にかなりハマっていた。

今振り返ると、

「どうしてあんなに夢中になったんだろう?」

と思う。

もちろんゲームとして面白かった。

でも、それだけでは説明できない気もする。

19歳といえば、子どもではない。

かといって、人生経験が豊富な大人でもない。

これから何をするのか。

どんな仕事をするのか。

誰と出会うのか。

自分の人生がどうなるのか。

まだ何も分からない。

そんな時期にプレイした『ドラクエ5』は、単なるRPGではなく、一人の人間の人生を追いかける物語のように感じられた。

今回は、19歳だった自分がなぜあれほど『ドラクエ5』にハマったのか、今になって考えてみたい。

19歳の私には、とにかく面白かった

最初から難しい理由があったわけではない。

単純に面白かった。

街へ行く。

人と話す。

フィールドへ出る。

モンスターと戦う。

経験値を稼ぐ。

レベルが上がる。

新しい場所へ行けるようになる。

今ではRPGの定番として見慣れている仕組みも、当時の私にはかなり魅力的だった。

「次は何が起きるんだ?」

と思いながら進めていく。

少しだけ遊ぶつもりが、気づけば長時間プレイしている。

ゲームをやめても続きが気になる。

そんな状態だった。

ドラクエ5は「人生」が進んでいく

特に印象的だったのは、主人公の人生そのものが進んでいくことだった。

少年時代から始まる。

父パパスと旅をする。

さまざまな出来事を経験する。

成長する。

そして大人になっていく。

さらに結婚という大きな選択があり、その後には家族の物語まで続いていく。

普通のRPGなら、

「魔王を倒す」

「世界を救う」

という大きな目的が中心になりやすい。

もちろんドラクエ5にも冒険はある。

しかし私が強く感じたのは、

「これは主人公の人生そのものを体験するゲームなんだ」

ということだった。

パパスの存在が大きかった

序盤で特に印象に残ったのが、主人公の父親であるパパスだった。

子どもの主人公から見れば、非常に頼れる存在だ。

強い。

旅を知っている。

主人公を守ってくれる。

ゲームを始めたばかりのころは、パパスについていけばいい。

しかし物語は、そのままでは進まない。

主人公自身が自分の人生を歩かなければならなくなる。

今考えると、この構造が非常にうまい。

子どものころは親についていく。

やがて自分で決断しなければならなくなる。

ゲームの中の出来事なのに、人生そのものに少し似ている。

19歳という年齢だったからこそ、何か引っかかるものがあったのかもしれない。

モンスターが仲間になるのも衝撃だった

ドラクエ5といえば、モンスターを仲間にできる仕組みも忘れられない。

それまで敵として戦っていたモンスターが仲間になる。

これは面白かった。

「こいつ、仲間にならないかな」

と思いながら戦う。

仲間になれば育てたくなる。

レベルを上げる。

装備を整える。

一緒に冒険する。

同じゲームでも、誰を仲間にするかによってパーティーが変わる。

だから、自分だけの冒険をしているような感覚があった。

強いモンスターだけが魅力的だったわけではない。

お気に入りのモンスターを連れて歩くこと自体が楽しかった。

スライムにも愛着が湧いた

ドラゴンクエストでは、スライムはかなり弱いモンスターとして登場する。

普通なら序盤で倒して終わる存在だ。

しかし仲間になると話が変わる。

「こいつを育てたらどうなるんだろう?」

と思う。

弱い存在を育てる。

少しずつ強くする。

できることが増える。

私はこういう成長要素が好きだったのだと思う。

最初から最強ではない。

弱いところから始まる。

でも経験を積めば変わる。

今になって考えると、私はゲームの中でも**「成長する存在」**に惹かれていたのかもしれない。

そして「花嫁を選ぶ」という出来事

ドラクエ5を語るうえで外せないのが結婚だ。

ビアンカかフローラか。

プレイヤーが選択する。

今ならゲームで恋愛や結婚を扱う作品は珍しくない。

しかし当時の私にはかなり印象的だった。

しかも単に、

「どちらのキャラクターが強いか」

だけでは決められない。

それまでの物語。

思い入れ。

性格。

自分ならどちらを選ぶか。

いろいろ考えてしまう。

ゲームなのに人生の選択をしているような気分になる。

19歳で「結婚」をゲームの中で考えていた

今考えると少し面白い。

19歳の私は現実の人生について、まだ分からないことだらけだった。

それなのにゲームの中では結婚相手を選んでいる。

そして主人公には子どもまで生まれる。

自分自身はまだ人生の入口にいる。

しかしゲームの主人公は、自分よりはるか先まで人生を進んでいく。

もしかすると私は、

「これから自分にも起こるかもしれない人生」

をゲームの中で先に体験していたのかもしれない。

なぜ19歳だったことを今でも覚えているのか

ゲームをプレイした年齢なんて、普通なら忘れてしまう。

でも私は「19歳」という数字を覚えている。

それだけ印象が強かったのだと思う。

人生には、その時期と作品がセットになって記憶されることがある。

音楽を聴くと高校時代を思い出す。

昔の街を見ると当時の仕事を思い出す。

ゲームも同じだ。

ドラクエ5を思い出すと、私はゲームだけではなく、

19歳だったころの自分

まで一緒に思い出す。

あのころは未来が長かった

19歳。

今から考えると、とても若い。

そのころは人生がものすごく長く感じられた。

20歳。

30歳。

40歳。

50歳。

全部ずっと先の話だった。

自分が50代になるなんて、現実感がなかったと思う。

しかし時間は進む。

ゲームなら電源を切れば止まる。

セーブデータから再開することもできる。

現実の人生はそうはいかない。

気がつけば、19歳だった自分から何十年も経っている。

現実にはセーブポイントがない

RPGなら失敗してもやり直せる。

装備を変える。

レベルを上げる。

セーブしたところから再開する。

でも現実は違う。

「あのとき別の道を選んでいたら」

と思っても、その場所へ戻ることはできない。

仕事。

恋愛。

人間関係。

住む場所。

いろいろな選択が積み重なって現在になる。

ドラクエ5の花嫁選びには選択肢が表示される。

現実の人生では、

それが重要な分岐点だったと後になって分かることもある。

そこが人生の難しいところだ。

それでもレベルアップはできる

一方で、RPGと人生には似ているところもある。

経験を積むことだ。

昨日できなかったことが、今日は少しできる。

知識が増える。

失敗から学ぶ。

新しいことを始める。

ゲームのように、

「レベルアップ!」

と画面には表示されない。

でも、人間も少しずつ変わる。

19歳の自分と現在の自分では、経験値がまったく違う。

若さという能力は下がったかもしれない。

その代わり、経験という能力は増えている。

50代になっても新しい冒険は始められる

ここが今の私には重要だ。

19歳のころは、ドラクエ5の世界を冒険していた。

今は現実で新しいことを考えている。

AI。

ブログ。

新しい仕事。

資格の勉強。

東京での生活。

内容は違う。

でも、

「知らない場所へ行く」

「新しいことを覚える」

という意味では、少し似ている。

50代だから冒険終了というわけではない。

人生にはラスボスもエンディング画面も表示されない。

だったら、まだ続きがある。

AI時代にドラクエ5を思い出す

最近はAIを使うようになった。

すると不思議なことに、昔好きだったゲームについても別の角度から考えるようになった。

「もし別の選択をしていたら?」

「このキャラクターが違う行動をしていたら?」

「モンスター側から物語を見たら?」

昔なら頭の中で想像して終わっていた。

今はAIと一緒に仮説を広げられる。

30年以上前に夢中になったゲームが、最新技術によって再び自分の中で動き始める。

これは面白い時代だと思う。

19歳の自分にAIを見せたらどう思うだろう

もし19歳の自分のところへ行って、

「将来、コンピューターと普通の言葉で話せるようになるぞ」

と言ったら信じるだろうか。

しかも、

「ドラクエについて何時間でも話せるぞ」

と言ったら驚くと思う。

ゲームの攻略だけではない。

物語を分析する。

別世界線を考える。

新しいキャラクターを作る。

戦略をシミュレーションする。

そんなことまでできる。

19歳の私が見たら、未来そのものに感じるかもしれない。

ゲームの記憶は消えない

何十年経っても覚えているゲームがある。

細かい部分は忘れても、

「夢中になった」

という感覚は残っている。

ドラクエ5は私にとって、そういう作品だった。

だから今でも名前を聞くと反応する。

パパス。

ビアンカ。

フローラ。

スライム。

そして天空の花嫁。

ただのキャラクター名ではない。

そこには19歳だった自分の時間も一緒に保存されている。

まとめ|19歳の冒険は、まだ自分の中に残っている

それにしても、19歳のときの私は『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』に本当にハマっていた。

ゲームだった。

ただの娯楽だった。

そう言ってしまえば、それまでだ。

でも今振り返ると、あの作品には人生の要素がたくさん入っていた。

少年時代。

父親。

別れ。

成長。

仲間。

結婚。

家族。

そして冒険。

19歳だった私は、ゲームとして楽しみながら、知らないうちに一人の主人公の人生を追体験していたのかもしれない。

あれから長い時間が経った。

現実の私はゲームの主人公のようには進まなかった。

失敗もした。

遠回りもした。

思っていた未来とは違うところへ来た。

でも、ゲームと違って人生には「クリア」という表示がない。

今から新しいことを始めてもいい。

新しい場所へ行ってもいい。

新しい知識を覚えてもいい。

19歳のころ、私はテレビ画面の中で冒険していた。

そして今は、現実の人生で次の冒険を探している。

あのころ夢中になった気持ちは、何十年経っても完全には消えていない。

むしろ50代になった今だからこそ、

「なぜあんなに好きだったんだろう」

と考えられる。

それもまた、長く生きてきたからこそ書けるSolo Logなのだと思う。

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