東京を一人で歩いていると、不思議といろいろなことを考える。
仕事のこと。
ブログのこと。
これからの生活のこと。
昔のこと。
普段ならスマホやパソコンを見ながら考えていることでも、歩いていると少し違って見えてくる。
今回は玉川通りを歩きながら、
「歩くと本当に頭の中が整理されるのだろうか?」
と考えてみた。
特別な目的を持ったウォーキングではない。
ただ一人で道路沿いを歩く。
それだけなのに、家にいるときとは違う時間になった。
玉川通りを歩いてみる
玉川通りは、東京の中でも交通量の多い大きな道路だ。
車が次々と走っている。
信号がある。
店がある。
マンションがある。
人が歩いている。
場所によって街の雰囲気も変わっていく。
静かな公園を散歩するのとはかなり違う。
むしろ周囲には情報が多い。
それなのに、一人で歩いていると自分の考えに集中できる瞬間があった。
これは少し意外だった。
最初は頭の中にいろいろ残っている
歩き始めた直後は、まだ頭の中が忙しい。
今日やらなければならないこと。
スマホで確認したこと。
仕事について考えていたこと。
ブログの記事。
アクセス数。
人間関係。
お金。
これから何をするか。
いろいろな考えが同時に出てくる。
家にいると、そのたびに検索したり、スマホを見たり、パソコンを開いたりできる。
すると、また新しい情報が入ってくる。
考えているつもりなのに、実際には情報を追加し続けているだけのこともある。
歩いていると、それが少なくなる。
もちろんスマホは持っている。
でも歩きながらずっと画面を見るわけにはいかない。
自然に「考えるだけの時間」が増えていった。
30分くらい歩くと考え方が変わってくる
私の場合、少し長く歩いていると、最初に考えていたこととは違うことを考え始める。
最初は、
「あれをやらなければ」
「これもやらなければ」
という感じだった。
ところが歩き続けていると、
「そもそも、これは本当に今日やる必要があるのか?」
というところまで考えるようになる。
これは結構大きな違いだと思う。
家では「どうやるか」を考えていたのに、歩いていると「やる必要があるのか」まで戻って考えられる。
頭の中の優先順位を作り直しているような感じだった。
大通りだから歩くだけに集中しやすい
玉川通りのような大きな道路には、個人的には一つメリットがある。
道が比較的分かりやすいことだ。
複雑な住宅街を歩く場合、
「次は右かな?」
「この道で合っているかな?」
と何度も地図を確認することになる。
それでは考え事に集中しにくい。
大きな通りに沿って歩く場合は、基本的には道路をたどっていけばいい。
もちろん交差点などでは安全確認が必要だが、道順そのものを考える時間は少なくなる。
その分、歩きながら別のことを考えられる。
ブログについて考える時間にもなる
私は普段ブログの記事について考えることが多い。
次に何を書くか。
どの記事を増やすか。
アクセスが少ない記事をどうするか。
複数のサイトをどう更新するか。
パソコンの前で考えると、数字ばかり見てしまうことがある。
検索順位。
表示回数。
クリック数。
インデックス数。
もちろん数字は重要だ。
でも歩いていると、もっと単純なところに戻れる。
「自分は何を書きたいのか?」
「実際に経験したことで記事になるものはないか?」
そんなことを考える。
そして気づいた。
今歩いている玉川通りそのものも記事になる。
何か特別な観光地へ行かなくてもいい。
一人で歩いて感じたことにも、自分にしか書けない部分がある。
歩いていると記事候補が浮かぶ
一つの記事を考えていたはずなのに、歩いていると別の記事候補が出てくることがある。
たとえば、
玉川通りは歩きやすいのか。
何時間歩けるのか。
途中で休憩できる場所はあるのか。
大通りを一人で歩くのは楽しいのか。
電車ではなく徒歩で移動すると何が違うのか。
そんな疑問が次々と出てくる。
机の前で「記事ネタを考えよう」とすると出てこないのに、外を歩いていると自然に思いつく。
街そのものが記事の材料になるからだと思う。
人生についても少し考える
長く歩いていると、ブログだけではなく自分の人生について考えることもある。
これから何年働くのか。
今の生活をどう変えたいのか。
新しい仕事に挑戦するのか。
ブログをどこまで続けるのか。
今までやってきたことをどう生かすのか。
すぐに答えが出るわけではない。
でも、それでいい。
歩きながら人生の答えを出そうとしているわけではない。
頭の中に散らばっていたものを、一つずつ眺めているだけだ。
それでも、家に帰ったときには少し整理されていることがある。
「考えない時間」も出てくる
さらに歩き続けると、逆に何も考えていない瞬間もある。
信号が青になった。
前を歩いている人が曲がった。
新しい店がある。
空が明るい。
車が多い。
足が少し疲れてきた。
そんな目の前のことだけを見ている。
私は、この時間も大事なのかもしれないと思った。
頭を整理するというと、一生懸命考えることを想像する。
しかし実際には、いったん考えるのをやめることも必要なのだろう。
歩いていると、考える時間と考えない時間が自然に交互にやってくる。
スマホを見続けないのが大きい
家にいるとスマホを何度も見る。
少し気になることがあれば検索する。
通知を見る。
別の記事を見る。
そこからまた別の情報を見る。
気づけば最初に何を考えていたのか分からなくなることもある。
徒歩では完全にスマホから離れる必要はない。
地図を見ることもある。
時間を確認することもある。
ただ、少なくとも歩いている間ずっと画面を見ることはできない。
それだけでも頭に入ってくる情報量が減る。
情報を増やす時間ではなく、すでに頭の中にある情報を処理する時間になる。
私には、そこが徒歩の良さに感じられた。
疲れてくると悩みが単純になる
長く歩くと当然疲れる。
足が重くなる。
少し休みたくなる。
飲み物が欲しくなる。
すると、それまで考えていた複雑な悩みが少し遠くなる。
「次の信号まで歩こう」
「どこかで休憩しよう」
そんな単純なことを考えるようになる。
悩みが解決したわけではない。
でも、一度そこから離れることができる。
帰宅したあとに同じ問題を考えてみると、歩く前ほど大きな問題に感じないこともある。
歩けば必ず悩みが解決するわけではない
もちろん、歩けばすべて解決するわけではない。
仕事の問題は歩いただけではなくならない。
お金の問題も同じだ。
人間関係もブログのアクセスも、歩けば突然改善するわけではない。
また、暑い日や寒い日、体調が悪い日に無理をして長距離を歩けば、むしろ疲れてしまう。
交通量の多い道路では周囲にも注意しなければならない。
だから「悩んだら何時間でも歩けばいい」という話ではない。
あくまで自分の体調に合わせて歩く。
それで十分だと思う。
一人で歩くから考えられることもある
誰かと一緒に歩くのも楽しい。
でも頭を整理したいなら、一人歩きには独特の良さがある。
会話をしなくていい。
相手の歩く速度を気にしなくていい。
疲れたら休める。
気になる場所があれば立ち止まれる。
そして自分の考えを途中で説明する必要もない。
頭の中だけで考えて、そのまま歩き続けられる。
一人だからこそ成立する時間だ。
玉川通りは目的地ではなく「考える場所」になった
普通、道路は移動するために使う。
目的地へ行くための途中にあるものだ。
でも歩いてみると、道路そのものが一つの場所になる。
玉川通りを歩く。
街を見る。
考える。
疲れる。
また歩く。
それだけで一つの体験になる。
電車なら短時間で通過してしまう場所でも、徒歩なら長い時間そこにいる。
その時間が、自分の頭を整理する時間にもなる。
まとめ|玉川通りを歩くと頭の中は少し整理された
玉川通りを歩けば、人生の悩みが全部解決するわけではない。
突然すごいアイデアが生まれるとも限らない。
それでも私は、一人で長く歩いていると頭の中が少し整理される感覚があった。
歩き始めは、いろいろなことを考える。
しばらくすると優先順位を考える。
さらに歩くと、何も考えない時間が出てくる。
そしてまた何かを思いつく。
この繰り返しがいいのかもしれない。
パソコンの前で答えが出ないとき。
スマホを見すぎて頭が疲れたとき。
考えることが多すぎるとき。
そんな日は、目的地を決めすぎず、一人で少し歩いてみる。
玉川通りのような大きな道を、ただ前へ進んでみる。
答えは見つからなくてもいい。
帰ってきたとき、
「さっきより少し頭の中がすっきりしたな」
と思えれば、それだけでも歩いた意味はある。
私にとって玉川通りを歩く時間は、単なる移動ではなく、頭の中にたまったものを一つずつ整理していく時間にもなった。


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