東京に住んでいると、電車ならそれほど遠く感じない場所でも、歩いてみるとまったく違う印象になる。
今回歩いてみたのは、落合駅から練馬方面まで。
普段なら電車やバスを使う距離だ。
わざわざ歩く必要はない。
それでも、
「実際に歩いたらどんな感じなんだろう?」
と思って歩いてみた。
結果として感じたのは、単純に「疲れた」ということだけではなかった。
電車では分からなかった街のつながりや距離感が見えてきた。
落合駅を出発する
スタートは東京メトロ東西線の落合駅周辺。
このあたりは普段から歩くことがあるので、最初は特別な感じはしない。
長距離を歩くときも、最初の20分くらいは普通の散歩に近い。
足もまだ軽い。
「これなら練馬まで普通に行けるんじゃないか」
と思う。
長距離徒歩では、この最初の余裕が少し危ない。
まだ全体のほんの一部しか歩いていないからだ。
電車で考える距離と徒歩で考える距離は違う
東京にいると、距離を駅の数で考えることが多い。
電車に乗る。
数駅移動する。
降りる。
それだけなら、かなり近く感じる。
しかし歩くと違う。
駅と駅の間に、
住宅街がある。
店がある。
交差点がある。
学校がある。
公園がある。
坂道もある。
普段は数分で通り過ぎてしまう場所を、一つずつ自分の足で通過する。
すると、
「東京って思ったより広いな」
と感じる。
中野区から練馬方面へ向かう感覚
歩いていると、ある瞬間に街の雰囲気が少しずつ変わってくる。
もちろん区境を越えた瞬間に景色が完全に変わるわけではない。
住宅街は続いているし、道路もつながっている。
でも長く歩いていると、
「だいぶ落合から離れてきたな」
という感覚が出てくる。
これが徒歩の面白いところだ。
電車なら、
落合。
乗車。
移動。
目的地。
という感じで場所が切り替わる。
歩きなら全部が一本につながる。
知らない道を歩くと少し不安になる
普段使わない道へ入ると、
「本当にこっちでいいのかな」
と思うことがある。
スマートフォンで地図を確認する。
少し進む。
また確認する。
大きな道路なら方向は分かりやすい。
しかし住宅街に入ると、似たような道が続くこともある。
一つ道を間違えただけなら大したことはない。
ただ、長距離を歩いていると、その数分の遠回りが妙に大きく感じる。
疲れてくるほど、
「できれば一歩も余計に歩きたくない」
と思うようになる。
1時間を超えると散歩ではなくなってくる
最初は散歩気分だった。
街を眺める余裕もある。
店を見ながら、
「こんなところに店があるんだ」
と思ったりする。
ところが1時間近く歩いてくると、少し感覚が変わる。
足が重くなる。
目的地までの残り時間が気になる。
地図を見る回数も増える。
ここからは、
散歩というより移動
という感覚になってくる。
自分の中では、この境目が長距離徒歩の面白いところでもある。
東京は歩くと店が途切れにくい
東京を歩いて便利だと思うのは、途中で休める場所を見つけやすいことだ。
コンビニ。
飲食店。
自動販売機。
公園。
少し大きな道路に出れば、何かしら見つかることが多い。
これは長く歩くとかなり安心する。
飲み物を忘れても途中で買える。
疲れたら少し止まれる。
トイレについても、選択肢を探しやすい。
ただし「どこにでも必ずある」と思い込まず、余裕があるうちに休憩するほうがいいと思った。
歩くと道路の名前を覚える
徒歩移動をするようになってから、大きな道路を意識するようになった。
電車中心の生活では、
駅名は知っている。
路線名も知っている。
しかし道路の名前は意外と知らない。
歩いて移動すると、道路が重要になる。
この道をまっすぐ行く。
次の大きな道路で曲がる。
交差点を越える。
こういう経験を繰り返すうちに、東京を「鉄道路線」ではなく「地面」で覚えるようになってくる。
これは実際に歩いてみて感じた変化だった。
練馬が「別の場所」ではなくなる
以前は練馬と聞くと、
「落合とは別の場所」
という感覚が強かった。
もちろん行政上も別の区だ。
しかし一度歩いてしまうと感覚が変わる。
道は普通につながっている。
当たり前の話なのだが、自分の足で確認すると印象が違う。
「あそこから歩けばここまで来られる」
という実感が残る。
それ以降、地図を見たときにも距離感を想像しやすくなった。
一人で長く歩くと考える時間が増える
長距離を一人で歩くと、かなり考える時間がある。
最初は道のことを考えている。
そのうち仕事のことを考える。
ブログのことを考える。
昔のことを思い出す。
これから何をしようか考える。
また地図を見る。
そして歩く。
電車ではスマートフォンを見てしまうことが多い。
徒歩でも地図は見るが、それ以外の時間は基本的に歩いているだけだ。
この「何もしていない時間」が意外といい。
頭の中が整理されることもある。
ただし無理をする必要はない
長距離を歩くと達成感はある。
しかし、長く歩けば歩くほどいいという話でもない。
足が痛い。
暑い。
寒い。
体調が悪い。
そんな日に無理をする必要はない。
電車やバスを使えばいい。
特に長距離なら、靴や天候、体調によって負担は大きく変わる。
「前回歩けたから今回も大丈夫」
とも限らない。
自分の場合も、歩くこと自体を目的にする日はいいが、時間が重要な日は公共交通機関を使ったほうが当然効率的だと思う。
徒歩は最速ではないが情報量が多い
落合から練馬まで歩くことに、移動手段として大きなメリットがあるかと聞かれたら、時間だけなら電車などを使ったほうがいい。
徒歩は時間がかかる。
疲れる。
天候にも左右される。
それでも徒歩には、
街について得られる情報量が多い
という面白さがある。
どんな住宅街なのか。
どんな店があるのか。
道路はどうつながっているのか。
坂はあるのか。
駅と駅の間には何があるのか。
電車では見えなかったものが見える。
「歩ける」と分かったことが一番大きい
今回、自分にとって一番大きかったのは、
「落合から練馬まで自分の足でも行ける」
と実感できたことだった。
もちろん、毎回歩こうとは思わない。
急いでいるなら電車を使う。
疲れているなら無理もしない。
それでも、
「必要なら歩ける」
という感覚があるだけで、東京の見え方が少し変わる。
地図上で離れている二つの場所が、自分の中で一本の道としてつながった。
長距離徒歩は小さな挑戦になる
山登りをしたわけではない。
大旅行でもない。
東京の街を歩いただけだ。
それでも普段なら交通機関を使う距離を歩くと、小さな達成感がある。
出発したときには遠く感じた目的地へ、少しずつ近づく。
そして最終的に着く。
ただそれだけなのに、
「今日は結構歩いたな」
という満足感が残る。
一人でもできる。
特別な道具もほとんど必要ない。
自分にとって長距離徒歩は、かなり手軽な「やってみた系」なのかもしれない。
まとめ|東京は歩くと街同士がつながって見える
落合駅から練馬方面まで歩いてみて感じたのは、単純な距離以上のことだった。
電車なら短時間で通り過ぎる場所にも、住宅街や店や道路がある。
歩けば、それらを一つずつ通過する。
最初は散歩。
途中から少し疲れる。
目的地が近づくとうれしくなる。
そして到着すると、
「ここまで全部つながっていたんだな」
という感覚が残る。
東京は電車で移動すると、駅と駅が点のように見える。
しかし歩いてみると、その点と点の間に街があることが分かる。
落合と練馬も、自分の中では以前より近い場所になった。
時間だけを考えれば、わざわざ歩く必要はない。
それでも、一度自分の足で歩いた道は記憶に残る。
目的地に着くことだけではなく、途中そのものを体験できる。
それが、落合駅から練馬まで歩いてみて一番感じたことだった。


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