今ではゲームを買う方法が大きく変わった。
オンラインストアを開けば、その場でゲームを購入できる。ダウンロード版なら店へ行く必要さえない。
欲しいゲームの情報も、インターネットで検索すればすぐに見つかる。
動画を見れば、実際にゲームが動いているところまで確認できる。
便利になった。
昔と比べれば、圧倒的に便利だと思う。
それなのに、ときどき思い出す。
ゲームショップへ行くだけで楽しかった時代があった。
ゲームを買う予定がなくてもいい。
お金をほとんど持っていなくてもいい。
店に入り、棚に並んでいるゲームを見る。
それだけで楽しかった。
今考えると、不思議な時間だった。
- ゲームショップへ向かうところから始まっていた
- 棚を見るだけで時間が過ぎた
- 買えないゲームほど欲しくなった
- 中古ゲームの棚には夢があった
- 100円、500円にも大きな差があった
- パッケージから世界を想像した
- 箱の裏側まで何度も見た
- 友達が持っているゲームを見つける
- 新作ゲームの発売日は特別だった
- ゲーム雑誌とショップがつながっていた
- 店内の雰囲気そのものが好きだった
- 知らないゲームとの偶然の出会い
- 買った帰り道はさらに楽しかった
- 家に着いて箱を開ける瞬間
- 買わなかった日も楽しかった
- 大人になれば買えるのに
- ネットで全部分かる時代になった
- ゲームショップが減っていく寂しさ
- 思い出しているのはゲームではなく時間かもしれない
- 「欲しい」と思っている時間も幸せだった
- まとめ|ゲームを買わなくても楽しかった場所
ゲームショップへ向かうところから始まっていた
子どものころ、ゲームショップへ行くこと自体が一つのイベントだった。
今のようにスマートフォンで商品を確認して、その場で購入するわけではない。
実際に店へ行く。
歩いたり、自転車に乗ったりする。
店が近づいてくる。
看板が見える。
そして店内へ入る。
この段階ですでにワクワクしていた。
ゲームを買えると決まっている日は、さらに特別だった。
しかし、買えない日でも行きたかった。
ゲームショップには、家にはないゲームが大量にあったからだ。
棚を見るだけで時間が過ぎた
店へ入ると、ゲームソフトがずらりと並んでいた。
持っているゲーム。
友達が持っているゲーム。
名前だけ知っているゲーム。
まったく知らないゲーム。
一つずつ見ていく。
「これはどんなゲームなんだろう」
「面白そうだな」
「これ欲しいな」
そんなことを考える。
今なら数秒検索すれば内容が分かる。
しかし昔は、分からないからこそ想像した。
パッケージに描かれた絵を見る。
タイトルを見る。
裏面を見る。
少ない情報からゲームの中身を想像する。
もしかすると、この想像している時間そのものが楽しかったのかもしれない。
買えないゲームほど欲しくなった
子どもなので自由に使えるお金には限りがある。
店にあるゲームを好きなだけ買えるわけではない。
欲しいものがあっても、
「今日は買えない」
ということのほうが多かった。
それでも棚を見る。
値段を確認する。
また見る。
何度見ても値段は変わらないのに、また確認する。
今思えば面白い。
お金がないのだから、買えない。
それでも、
「いつか買えるかもしれない」
と思いながら眺めていた。
欲しいゲームがあること自体が楽しみだったのだと思う。
中古ゲームの棚には夢があった
中古ゲームも面白かった。
新品より安い。
少し前のゲームなら、かなり値段が下がっていることもある。
そこで、
「これなら買えるかもしれない」
というゲームを探す。
高いゲームだけを見るのではない。
自分のお金で届きそうなものを探す。
これが宝探しのようだった。
知らないゲームが安く売られている。
面白いかどうかは分からない。
でもパッケージを見ると面白そうだ。
買うか。
やめるか。
子どもにとっては真剣な判断だった。
100円、500円にも大きな差があった
大人になると、ゲームソフトを一本買うことは昔ほど大事件ではなくなる。
しかし子どものころは違った。
100円の差。
500円の差。
それが大きかった。
お小遣いの範囲で買えるのか。
もう少し待つ必要があるのか。
欲しいゲームを一つ買えば、別のゲームは買えない。
だから迷う。
何度も棚を見る。
別のゲームと比較する。
店内を一周する。
そしてまた最初のゲームへ戻る。
買い物そのものがゲームのようだった。
パッケージから世界を想像した
昔のゲームショップで印象に残っているのは、パッケージだ。
箱やケースを見るだけで、
「このゲームにはどんな世界があるんだろう」
と想像した。
勇者が冒険するのか。
車を運転するのか。
スポーツをするのか。
謎を解くのか。
実際に遊んだことがなくても、パッケージを見るだけで頭の中に世界ができた。
今なら動画でゲーム内容を詳しく確認してから買える。
失敗は減る。
それは便利だ。
しかし、情報が少なかったからこそ生まれた想像もあった。
箱の裏側まで何度も見た
欲しいゲームがあると、パッケージの裏側までじっくり見た。
ゲーム画面。
説明。
登場人物。
どんな遊び方ができるのか。
限られた情報を何度も読む。
一度読めば内容は分かる。
それでもまた読む。
買えない日は、箱を棚へ戻す。
しかし頭の中では、
「いつかこれをやりたい」
と思っている。
その気持ちを家まで持って帰った。
友達が持っているゲームを見つける
友達の家で遊んだゲームを店で見つけることもあった。
「あ、これだ」
とすぐ分かる。
値段を見る。
自分でも欲しくなる。
逆に、自分が持っているゲームが中古で売られていると値段が気になる。
「こんな値段になっているのか」
と思う。
子どもながらに、ゲームにも値段が上がったり下がったりすることを知った。
ゲームショップは遊ぶ場所ではない。
しかし、ゲームを中心にいろいろなことを考える場所だった。
新作ゲームの発売日は特別だった
欲しいゲームの発売日が近づくとワクワクした。
雑誌などで情報を見る。
発売日を覚える。
あと何日か数える。
そして店へ行く。
新品が並んでいる。
まだ誰も遊び込んでいないゲームが、そこにある。
買えるなら最高だった。
買えなくても、
「もう発売されたんだ」
と実物を見るだけで少しうれしかった。
今考えると、ゲームをプレイする前からかなり楽しんでいた。
ゲーム雑誌とショップがつながっていた
昔はゲーム雑誌から情報を得ることも多かった。
雑誌で新作を知る。
写真を見る。
記事を読む。
そして後日ゲームショップへ行く。
雑誌で見たゲームが棚にある。
「あれだ」
となる。
ネットがなかった時代、情報と実物の間には時間差があった。
その時間差が期待を膨らませた。
欲しいと思ってから実際に見るまで待つ。
発売されるまで待つ。
買えるまでさらに待つ。
待つ時間もゲーム体験の一部だった。
店内の雰囲気そのものが好きだった
ゲームショップには独特の空気があった。
棚いっぱいのゲーム。
価格表示。
中古ソフト。
新作コーナー。
店内を歩く人。
ゲーム機の映像が流れていることもあった。
その空間にいるだけで楽しかった。
目的の商品を買ってすぐ帰る場所ではなかった。
何も買わず、かなり長い時間見ていることもあった。
今ならネットショップを何十分も眺める感覚に近いのかもしれない。
しかし実店舗には、その場所へ行かなければ味わえない空気があった。
知らないゲームとの偶然の出会い
インターネットでは、自分が検索したものが中心に表示される。
昔のゲームショップでは違った。
棚を見ていると、知らないゲームが突然目に入る。
「何だこれ?」
手に取る。
裏を見る。
面白そうだ。
そんな偶然があった。
最初から欲しかったわけではないゲームを買うこともある。
そして、そういうゲームが意外に面白かったりする。
情報が少ない時代だからこそ、偶然の出会いが大きかった。
買った帰り道はさらに楽しかった
そしてゲームを買えた日は特別だった。
袋の中にはゲームが一本入っている。
早く家へ帰りたい。
説明書を読みたい。
電源を入れたい。
最初の画面を見たい。
帰り道なのに、頭の中ではもうゲームが始まっている。
家までの距離がいつもより長く感じる。
ゲームショップへ向かうときはワクワクする。
買ったあとはさらにワクワクする。
一日に二回楽しめた。
家に着いて箱を開ける瞬間
家へ帰る。
袋からゲームを取り出す。
ケースを開ける。
説明書を見る。
ゲーム機へセットする。
そして電源を入れる。
タイトル画面が表示される。
この一連の流れまで含めて、新しいゲームを買う体験だった。
今はダウンロードすればすぐ遊べる。
非常に便利だ。
でも昔は、
「手に入れた」
という感覚が強かった気がする。
買わなかった日も楽しかった
ここが一番不思議だ。
何も買わなかった日も、ゲームショップへ行ったことを後悔しなかった。
欲しいゲームを見る。
値段を見る。
知らないゲームを見つける。
「次はこれが欲しい」
と考える。
そして帰る。
手には何も持っていない。
それでも楽しかった。
つまり自分が好きだったのは、ゲームを買うことだけではなかったのだと思う。
ゲームに囲まれている時間そのものが好きだった。
大人になれば買えるのに
大人になれば、子どものころより自由に使えるお金は増える。
昔欲しかったゲームを中古で買うこともできる。
ゲームショップで何本かまとめて買うことだってできる。
子どものころの自分が見れば、
「そんなに買えるの?」
と驚くかもしれない。
しかし不思議なことに、一本のゲームに対するワクワクは昔ほど大きくない。
買えなかったからこそ欲しかった。
待ったからこそうれしかった。
一本しか選べなかったからこそ真剣だった。
自由になったことで失った感覚もあるのかもしれない。
ネットで全部分かる時代になった
今は発売前から大量の情報がある。
動画。
レビュー。
SNS。
攻略情報。
評価。
ゲームを買う前に、かなりのことが分かる。
失敗を避けるには便利だ。
しかし昔は、
「どんなゲームなんだろう」
という未知の部分がもっと大きかった。
パッケージしか知らない。
友達の話しか知らない。
雑誌の数ページしか知らない。
だから実際にゲームを始めた瞬間、本当に知らない世界へ入っていく感覚があった。
ゲームショップが減っていく寂しさ
ゲーム販売もデジタル化した。
ゲームだけを扱う店へ行く機会は以前より減った。
これも時代の変化だと思う。
便利になったことを否定するつもりはない。
欲しいゲームを家から買える。
売り切れを心配しなくていい場合もある。
深夜でも購入できる。
昔にはなかった便利さだ。
それでも、棚いっぱいにゲームが並んだ店を歩く楽しさは、オンラインストアとは少し違う。
思い出しているのはゲームではなく時間かもしれない
昔のゲームショップを思い出すとき、具体的なゲームだけを思い出しているわけではない。
店へ向かったこと。
棚を眺めたこと。
値段を確認したこと。
欲しいけれど買えなかったこと。
買ったゲームを持って急いで帰ったこと。
そういう時間全体を思い出している。
だから懐かしいのだと思う。
ゲームショップは、自分にとって商品を買うだけの場所ではなかった。
子どものころのワクワクが詰まった場所だった。
「欲しい」と思っている時間も幸せだった
大人になると、欲しいものがあれば、
「買うか、買わないか」
をすぐ判断することが増える。
しかし子どものころは違った。
欲しい。
でも買えない。
来月なら買えるかもしれない。
誕生日なら買ってもらえるかもしれない。
中古でもっと安くなるかもしれない。
そんなことを何週間も考えていた。
今振り返ると、
手に入れる前の時間もかなり楽しかった。
欲しいものがある。
次に店へ行くのが楽しみ。
それだけで日常に小さな楽しみが一つ増えていた。
まとめ|ゲームを買わなくても楽しかった場所
子どものころ、ゲームショップへ行くのが好きだった。
新作を見る。
中古ゲームを見る。
パッケージを見る。
値段を見る。
知らないゲームを発見する。
欲しいゲームを何度も眺める。
買える日はうれしい。
買えない日でも楽しい。
今では家にいながらゲームを購入できる。
情報もすぐ手に入る。
便利さだけを比べれば、現在のほうが圧倒的に上だろう。
それでも昔のゲームショップには、検索画面では味わえない楽しさがあった。
何があるか分からない。
何を見つけるか分からない。
そして、欲しいゲームがあっても今日買えるとは限らない。
だから次に行く理由ができた。
考えてみれば、あのころの自分はゲームをプレイする前からゲームを楽しんでいた。
店へ向かう。
棚を見る。
欲しくなる。
いつ買えるか考える。
買ったら急いで帰る。
その全部がゲーム体験だった。
何十年たった今でも覚えている。
ゲームを買った日だけではない。
何も買わずに帰った日でさえ、ゲームショップへ行くだけで楽しかった。


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