中学校に入学すると、多くの生徒が最初に経験する大きな選択の一つが部活動だと思います。
野球部。
サッカー部。
テニス部。
バスケットボール部。
文化部。
学校によって選択肢はいろいろあります。
本来なら、自分が興味を持った部活を見学して、「ここに入りたい」と決めるものなのでしょう。
ところが私の場合は違いました。
私はテニス部に入りたいと思っていました。
しかし、最終的に入ったのは野球部でした。
自分で野球を選んだわけではありません。
父親に無理やり野球部へ入部させられたからです。
今になって振り返ると、これは中学生だった私にとって、かなり大きな出来事だったと思います。
私が入りたかったのはテニス部だった
中学校で部活動を選ぶとき、私には希望がありました。
テニス部です。
なぜテニス部に興味を持ったのか。
当時の気持ちを細かいところまですべて覚えているわけではありません。
それでも、
「テニス部に入りたい」
という意思が自分の中にあったことは覚えています。
中学生にとって部活動は小さな選択ではありません。
放課後の多くの時間を使います。
平日だけでなく、休日に練習する場合もあります。
同じ部活の仲間と何年間も過ごすことになります。
だから本当なら、
自分で選びたかった。
私はそう思います。
ところが父親は野球部を選んだ
私の希望とは関係なく、父親は私を野球部に入れようとしました。
私が、
「テニスをやってみたい」
と思っていても関係ありませんでした。
結果として、私は野球部へ入部することになりました。
父親には父親なりの考えがあったのかもしれません。
野球のほうがいい。
男なら野球をやったほうがいい。
運動するなら野球だ。
もしかすると、そんな考えがあったのかもしれません。
ただ、これは今の私が想像しているだけです。
父親が当時、本当は何を考えていたのかまでは分かりません。
確かなのは、
私はテニス部を希望していたのに、野球部へ入ることになった
ということです。
子どもの「やってみたい」は小さく見えて大きい
大人から見ると、
「テニスでも野球でもスポーツなんだから同じだろう」
と思うかもしれません。
しかし本人にとっては違います。
テニスをやってみたい。
野球をやりたい。
サッカーをやりたい。
絵を描きたい。
パソコンをやりたい。
それぞれ別の興味です。
特に中学生くらいになると、自分が何を好きなのかを少しずつ考え始めます。
そのときに、
「自分で決めた」
という経験はかなり大切なのではないでしょうか。
結果的に失敗してもいいと思います。
テニス部に入って、
「思っていたのと違った」
となったかもしれません。
途中で辞めた可能性だってあります。
それでも、自分で選んだ結果なら、自分の経験として受け止められたと思います。
野球そのものが悪かったわけではない
ここは分けて考えたいところです。
私は野球というスポーツそのものを否定したいわけではありません。
野球が好きな人にとって、野球部は楽しい場所でしょう。
仲間と練習する。
試合に出る。
勝つために努力する。
技術が上達する。
そこから得られるものはたくさんあると思います。
問題だったのは、
野球ではなく、「自分で選べなかったこと」
です。
自分から、
「野球部に入りたい」
と言って入部していたなら、同じ野球部でも感じ方はまったく違っていたでしょう。
無理やり始めたものは気持ちの入り方が違う
何かを続けるとき、
「自分でやりたいと思って始めた」
というのは大きいです。
練習がつらくても、
「自分で選んだんだから頑張ろう」
と思えることがあります。
ところが、人から決められた場合は違います。
つらい練習があるたびに、
「そもそも自分がやりたかったわけではない」
という気持ちが出てきます。
同じ1時間の練習でも、感じ方が違います。
これは部活動だけではないと思います。
勉強。
進学。
仕事。
趣味。
資格。
人生のいろいろな場面で同じことが起こります。
自分で選択したことには、自分で責任を持ちやすい。
人に強制されたことには、「なぜ自分がこれをやっているんだろう」という疑問が残りやすい。
もしテニス部に入っていたらどうなったのか
今になって考えることがあります。
もし父親に言われるまま野球部へ入るのではなく、希望していたテニス部へ入っていたらどうなっていたのだろう。
テニスが得意になったかもしれません。
高校でも続けていたかもしれません。
大人になってから趣味としてテニスをしていたかもしれません。
逆に、すぐに飽きていた可能性もあります。
これはもう分かりません。
人生には「選ばなかった世界」があります。
後からどれだけ考えても、答えは出ません。
だから、
「テニス部だったら人生がもっと良くなっていた」
とまで言うつもりはありません。
ただ、
一度、自分で選んでみたかった。
その気持ちは残っています。
親が子どものためを思って決める難しさ
親は子どもより長く生きています。
だから、
「こっちのほうがいい」
と思うこともあるでしょう。
子どもが明らかに危険なことをしようとしていれば、止める必要もあります。
しかし、テニス部と野球部のように、どちらを選んでも大きな問題がない場面ではどうでしょうか。
私は今なら、
本人がやってみたいほうを一度やらせてもいいのではないか
と思います。
失敗したら、それも経験です。
向いていなかったら、そこで初めて分かります。
最初から親が答えを決めてしまえば、その経験そのものができません。
大人になって分かった「自分で決める」ということ
中学生のころは、親の影響が大きいです。
住む場所も自分では決められません。
学校も完全に自由というわけではありません。
お金もありません。
だから親の意見に従わなければならない場面はたくさんあります。
しかし大人になると、自分で決められることが一気に増えます。
どこで働くか。
何を勉強するか。
休日に何をするか。
どこへ行くか。
何を始めるか。
もちろん現実にはお金や仕事などの制約があります。
それでも中学生だったころと比べれば、選択肢はかなり増えています。
だから今は、
「自分で選べることは、自分で選ぶ」
ということを大事にしたいと思っています。
過去は変えられなくても、今の選択は変えられる
私は中学生に戻って、テニス部へ入り直すことはできません。
あのとき父親に、
「絶対にテニス部に入る」
と言い返すこともできません。
過去は変えられません。
ただ、その経験から考えられることはあります。
自分が本当にやってみたいことは何なのか。
周囲から言われただけで選んでいないか。
「普通はこうする」という理由だけで決めていないか。
今の自分なら、それを考えることができます。
中学生のころにはできなかった選択を、大人になった今ならできる。
そう考えると、昔の経験にも少し意味が出てくる気がします。
まとめ|野球部の記憶より「選べなかった記憶」が残っている
中学校の部活動で、私はテニス部に入りたいと思っていました。
しかし父親の意向で、野球部へ入部しました。
何十年も経った今でも覚えているのは、それだけ当時の自分にとって大きな出来事だったからでしょう。
野球が悪かったわけではありません。
テニスなら成功していたとも言えません。
私の中に残っているのは、
「自分で選びたかった」
という感覚です。
子どものころは、自分だけでは決められないことがたくさんあります。
でも大人になった今は違います。
小さなことでも、
「私はこっちをやってみたい」
と思ったら、自分で選べる。
中学生のころに選べなかった部活動を思い出すと、今、自分で何かを決められることは当たり前ではないのだと感じます。
人生の大きな決断だけではありません。
今日どこへ行くか。
何を勉強するか。
何に挑戦するか。
何をやめるか。
そうした小さな選択も含めて、これからは自分の人生をできるだけ自分で選んでいきたい。
テニス部に入りたかったのに野球部へ入った中学生のころを振り返ると、私はそんなことを思います。


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