東京の大きな道路の一つ、環七通り。
車で走れば、目的地へ向かうための道路という印象が強い。
私も環七通りと聞くと、最初に思い浮かぶのは車だった。
交通量が多い。大きな交差点がある。トラックも走っている。
そんな「移動するための道路」というイメージだ。
しかし今回、環七通りを実際に歩いてみた。
すると、車で通り過ぎるだけでは気づかないものが意外と多かった。
特別な観光地を巡ったわけではない。
ただ環七通りを歩いただけだ。
それでも、一人で歩いてみると東京の見え方が少し変わった。
歩いてみると環七はかなり大きい
実際に歩き始めて最初に感じたのは、道路の存在感だった。
車で走っていると道路の幅はそれほど意識しない。
しかし歩道から見ると違う。
何車線もある道路を車が次々と走っていく。
大型車も通る。
信号待ちで立ち止まっていると、車の流れが目の前を途切れることなく通過していく。
「東京の交通を支えている道路なんだな」
と、歩いて初めて実感した。
車に乗っていれば、自分もその流れの一部になる。
徒歩だと、その流れを外側から眺めることになる。
同じ道路なのに立場が変わるだけで、かなり印象が違う。
車なら数秒、徒歩なら数分
歩いていると距離の感覚も変わる。
車ならあっという間に通過してしまう区間でも、徒歩なら数分かかる。
交差点一つを越える。
店の前を通る。
住宅街への道を横目に見る。
また次の信号まで歩く。
この繰り返しだ。
車で移動していると、
「さっきの店、何だったんだろう」
と思った頃には、もうかなり先まで進んでいる。
徒歩なら気になった場所を少し見ることができる。
歩く速度だから見える東京がある。
これは環七を歩いてみて感じた大きな違いだった。
一本の大通りなのに景色が少しずつ変わる
環七通りは基本的には大きな道路だ。
だから歩き始める前は、ずっと似たような景色が続くと思っていた。
ところが歩いてみると、少しずつ雰囲気が変化する。
店が多い場所。
住宅が多く見える場所。
大きな交差点。
小さな路地。
マンション。
昔からありそうな建物。
駐車場。
コンビニ。
飲食店。
一つ一つは東京では珍しくない。
しかし徒歩で連続して見ると、
「この辺から少し街の雰囲気が変わったな」
と感じる瞬間がある。
駅から駅へ電車で移動すると、この間の景色はほとんど見えない。
駅Aの次は駅B。
頭の中では二つの街が別々に存在する。
ところが歩いて移動すると、その間にも街がずっと続いていることが分かる。
当たり前のことなのだが、実際に歩くと妙に面白い。
大通りから一本入った道が気になる
環七を歩いていると、途中で何本も横道が現れる。
その先には住宅街が見える。
静かそうな道もある。
商店が見える道もある。
「ここを曲がったらどこへ行くんだろう」
と思う。
今回は環七を歩くことが目的なので、そのまま直進する。
それでも横道を見るたびに、知らない東京がまだ大量にあることを感じる。
普段使っている駅。
普段歩いている道。
普段買い物をする場所。
それだけで東京を知った気になってしまう。
しかし大きな道路を一本歩くだけでも、知らない道が次々と出てくる。
東京は徒歩で見るとかなり広い。
環七は道に迷いにくいのがいい
大通りを歩くメリットの一つは、方向を見失いにくいことだと思う。
知らない住宅街を歩いていると、
「こっちで合っているのか?」
と何度もスマホを確認したくなる。
曲がり角が増えるほど不安になる。
環七のような大きな道路なら基本的には道沿いに進めばいい。
これは一人歩きではかなり楽だった。
もちろん交差点などでは確認する。
それでも細い道を何度も曲がるルートより精神的に楽だ。
スマホの地図ばかり見ず、周囲を見る余裕も生まれる。
「ただ歩く」という目的なら、大通りは意外と向いている。
音については車では分からなかった
徒歩で環七を歩いて強く感じるものの一つが音だった。
車の走行音。
トラックが通過する音。
信号。
自転車。
人の話し声。
少し横道へ視線を向けると、急に静かそうな住宅街が見える。
大通り側は交通の音が続いているのに、少し離れただけで別の空間のように見える。
東京は建物だけではなく、音でも街が分かれているのかもしれない。
これは電車や車で通過しているだけでは、なかなか意識しなかった。
歩くと店との距離が近くなる
徒歩だと店の存在にも気づきやすい。
飲食店を見て、
「こんなところに店があったのか」
と思う。
コンビニを見つければ、
「少し休もうかな」
と思う。
気になる店があれば次に来る候補にもなる。
車だと駐車できるかどうかを考える。
電車なら駅周辺の店を探すことが多い。
徒歩の場合は、通り道そのものから店を見つけられる。
目的地を探すのではなく、歩いている途中で偶然見つける。
この偶然性が一人歩きの面白いところだと思う。
当然、疲れる
良いことばかりではない。
長く歩けば普通に疲れる。
環七は大きな道路なので、静かな公園を散歩するのとは違う。
交通量もある。
信号で何度も止まる。
同じような景色が続いているように感じる時間もある。
途中から、
「まだ歩くのか」
と思う瞬間もある。
しかし不思議なのは、歩き終わるとその疲れも含めて記憶に残ることだ。
電車で通過した道路について、その日の夜まで考えることはほとんどない。
歩いた道路は覚えている。
あの交差点。
あの店。
あの長い直線。
疲れて休んだ場所。
身体を使って移動した分だけ、街が記憶に残るのかもしれない。
東京の地図が少しつながった
今回歩いて一番良かったのはこれだった。
自分の中の東京の地図が少しつながった。
以前は駅と駅が点として存在していた。
電車に乗る。
地下や線路を移動する。
次の駅で降りる。
しかし徒歩なら、その点と点の間を見ることができる。
「この道を進むと、あそこにつながるのか」
という発見がある。
一度歩いた場所は、次に電車や車で通ったときにも見え方が変わる。
知っている場所になるからだ。
東京に住んでいても、まだ知らない場所は多い。
だから全部を一度に知る必要はない。
一本ずつ歩けばいい。
ただ道路を歩くだけでもソロログになる
今回、特別なイベントはなかった。
有名観光地へ行ったわけでもない。
高級レストランで食事をしたわけでもない。
環七通りを一人で歩いただけだ。
でも、それで十分だった。
車では気づかなかった道路の大きさ。
街の変化。
横道。
店。
音。
距離。
そして疲れ。
普通なら通り過ぎてしまう場所でも、自分の足で歩けば体験になる。
ソロログで残したいのは、こういう普通の一日なのかもしれない。
「今日は環七を歩いた」
それだけなら一行で終わる。
しかし実際に歩いた人間には、その一行の中にいろいろな景色が残っている。
次は環七から一本横道へ入ってみてもいい。
あるいは別の大通りを歩いてもいい。
東京には、まだ歩いていない道がいくらでもある。
一人だから予定を変えてもいい。
疲れたら帰ってもいい。
気になる店があれば立ち止まってもいい。
そんな自由さも、一人で東京を歩く面白さだと思った。
車なら通過するだけの道でも、歩けばその場所が自分の記憶になる。
環七通りを歩いてみて、そんなことを感じた。


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