早稲田通りから環七通りまで歩いてみた|東京を徒歩で移動して感じたこと

Solo Actions|ひとり行動ログ

東京に住んでいると、移動といえば電車を使うことが多い。

駅から駅へ移動して、地下鉄の階段を上がると突然まったく違う街に出る。

便利なのだけれど、電車で移動していると「街と街がどうつながっているのか」が意外と分からない。

今回は、早稲田通りから環七通りまで歩いてみた。

特別な観光スポットを目指したわけではない。

ただ道路を歩いただけ。

それでも実際に自分の足で移動すると、地図を眺めているだけでは分からなかった東京の距離感が少し見えてきた。

今回はルート案内というより、実際に歩いて感じたことをソロログとして残しておきたい。

早稲田通りを歩き始める

歩き始めたときは、それほど大げさなことをする感覚はなかった。

早稲田通りは車も人も多く、東京では比較的分かりやすい道路だ。

店が並んでいる場所もあれば、住宅が多くなる場所もある。

普段なら目的地までの時間ばかり気にする。

「あと何分だろう」

「最寄り駅はどこだろう」

そんなことを考えるのだが、今回は歩くこと自体が目的に近い。

急ぐ必要がない。

そうすると、普段は気づかないものが目に入ってくる。

小さな飲食店。

昔からありそうな建物。

細い路地。

自転車で通り過ぎていく人。

地図では一本の線として表示される道路にも、実際にはたくさんの生活がある。

歩く速度になると、それがよく見える。

「東京は全部つながっている」と感じる

電車移動では、駅と駅が点として存在しているように感じることがある。

落合、高円寺、中野、新宿。

路線図を見ると、それぞれが駅名として並んでいる。

ところが徒歩では違う。

一つの街が終わった瞬間に、次の街が突然始まるわけではない。

住宅や店の雰囲気が少しずつ変わっていく。

歩いているうちに、

「あれ、もうここまで来たのか」

と思う。

東京に引っ越してきた頃は、それぞれの場所が別々の土地に感じられた。

でも歩いてみると全部つながっている。

これは徒歩移動をするようになってから感じるようになったことだ。

大通りは迷いにくい

今回歩いて改めて感じたメリットがある。

大通りはかなり歩きやすい。

もちろん交通量は多い。

信号もある。

場所によっては音も大きい。

ただ、「道に迷いにくい」という安心感がある。

知らない住宅街へ入ると、

「この道で合っているのか?」

とスマホを何度も確認することになる。

大通りなら基本的には道路に沿って進めばいい。

方向さえ間違えなければ、かなり気楽だ。

徒歩で長い距離を移動するとき、この「迷わなくていい」というのは想像以上に大きい。

体力よりも、何度も地図を確認することのほうが疲れる場合もあるからだ。

歩くと距離の感覚が変わる

地図で見ると近そうなのに、実際に歩くと遠い。

逆に、遠そうに見えたのに意外と歩けてしまう。

東京を歩いていると、この二つを何度も経験する。

徒歩では信号で止まる。

人を避ける。

横断歩道を渡る。

少し寄り道する。

こうした小さな時間が積み重なる。

そのため、地図上の直線距離だけでは実際の感覚は分からない。

ただ、不思議なのは一度歩いた場所だ。

一度自分の足で歩くと、次から急に近く感じる。

「あそこなら歩ける」

という基準が自分の中にできる。

これは電車だけを使っていた頃にはなかった感覚だった。

環七が見えてくる

しばらく歩いていると、周囲の交通量が増えてくる。

大きな交差点。

何車線もある道路。

次々と走っていく車。

環七通りだ。

環七という名前自体は東京に住む前から聞いたことがあった。

ただ、名前を知っていることと、自分の足でそこまで歩いて到着することは全然違う。

「ここが環七か」

と思いながら道路を見る。

別に絶景があるわけではない。

有名な観光地でもない。

普通の大きな道路だ。

それでも、歩いて到着すると少し達成感がある。

電車やバスなら何も感じなかったかもしれない。

徒歩では「自分でここまで来た」という感覚が残る。

環七は早稲田通りとは雰囲気が違う

実際に歩いて感じると、道路にはそれぞれ性格がある。

早稲田通りを歩いていると、人の生活との距離が比較的近く感じられる。

店や住宅が目に入り、人が歩いている。

一方、環七通りまで来ると「車のための大きな道路」という印象が強くなった。

車の流れ。

道路の幅。

交差点の大きさ。

徒歩で立っていると、道路そのものの存在感が大きい。

同じ東京の道路でも、歩いてみると印象はかなり違う。

車に乗って通過していたら、ここまで意識しなかったと思う。

疲れるけれど嫌ではない

当然、長く歩けば足は疲れる。

最初は軽快に歩けても、時間がたつにつれて歩幅が少し小さくなる。

信号待ちが休憩のように感じる瞬間もある。

それでも、自分の場合は「もう歩きたくない」という感覚とは少し違った。

むしろ、

「ここまで歩けた」

という気持ちのほうが強い。

東京では電車を使えば簡単に移動できる。

だからこそ、あえて歩くことに小さな面白さがある。

速さでは完全に電車に負ける。

効率も良くない。

でも効率だけを考えなくていい時間も悪くない。

お金をほとんど使わない一人時間

徒歩の良いところは、特別な準備がほとんど必要ないことだ。

歩きやすい靴を履く。

スマホを持つ。

必要なら飲み物を持つ。

基本的にはそれだけでいい。

映画を見るわけでもない。

高い店へ入るわけでもない。

何かを買う必要もない。

ただ歩く。

東京はお金を使おうと思えばいくらでも使える街だ。

その一方で、「ただ歩く」という過ごし方ならほとんどお金はかからない。

一人だから、

「そろそろ帰ろう」

と思ったら帰ればいい。

気になる道があれば寄り道してもいい。

誰かのペースに合わせる必要がない。

これはソロ行動のかなり大きなメリットだと思う。

一人で歩く時間は考える時間にもなる

長く歩いていると、ずっと景色だけを見ているわけではない。

仕事のこと。

ブログのこと。

これからやりたいこと。

昔のこと。

いろいろな考えが勝手に浮かんでくる。

家の中で同じことを考えていると煮詰まることがある。

しかし歩きながらだと、不思議と考えが流れていく。

答えが出るわけではない。

それでも気持ちが整理されることはある。

一人散歩の価値は、移動距離だけでは測れないのかもしれない。

東京の地図が頭の中で立体的になる

今回、早稲田通りから環七通りまで実際に歩いて一番面白かったのは、頭の中の地図が少し変わったことだった。

これまでは、

「早稲田通り」

「環七通り」

という別々の道路だった。

歩いたあとは、

「ここを進めば環七につながる」

という一本の経験になる。

地図上の情報が、自分の記憶に変わる。

途中で見た店。

交差点。

疲れてきた場所。

環七が見えた瞬間。

そういう細かい記憶まで含めて、自分だけの地図ができていく。

まとめ|ただ道路を歩くだけでもソロログになる

早稲田通りから環七通りまで歩いた。

文章にすると、それだけの出来事だ。

旅行でもない。

大きな挑戦でもない。

何か劇的なことが起きたわけでもない。

でも、ソロログとして残すなら、むしろこういう普通の日のほうが面白いのではないかと思う。

電車なら短時間で通り過ぎてしまう場所を、自分の足で歩く。

街の変化を見る。

少し疲れる。

目的の道路へ着く。

そして帰る。

それだけでも一つの体験になる。

東京にいると、有名な場所へ行かなければ面白い体験にならないような気がすることもある。

実際にはそんなことはない。

一本の道路を歩くだけでもいい。

知らない交差点まで行くだけでもいい。

一駅先まで歩くだけでもいい。

一人で行動した小さな記録を積み重ねていけば、それが自分だけの東京の記録になる。

次は環七をさらに歩いてみるのも面白そうだ。

「どこまで行けるか」ではなく、「歩いたら何を感じるか」。

そんな視点で東京を歩いてみたい。

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