一人暮らしをしていると、テレビをちゃんと見ているわけでもないのに、ずっとつけていることがある。
朝、テレビをつける。
ニュースを見る。
そのあとパソコンを触る。
スマホを見る。
食事をする。
気がつけば、テレビの内容はほとんど頭に入っていない。
それでも消さない。
部屋の中では誰かが話している。
ニュースキャスターの声。
バラエティ番組の笑い声。
ドラマの会話。
CMの音楽。
テレビを見たいというより、部屋を完全に無音にしたくないのかもしれない。
一人の部屋でテレビをつけっぱなしにする。
考えてみれば、少し不思議な習慣だ。
今回は、その理由を自分なりに考えてみたい。
テレビを「見る」から「流す」に変わった
昔のテレビは、もっと真剣に見ていた気がする。
見たい番組が始まる時間を覚えている。
その時間になったらテレビの前に座る。
番組が終わるまで見る。
今のようにスマホを触りながら見ることもなかった。
テレビそのものが娯楽の中心だった。
ところが今は違う。
スマホがある。
YouTubeもある。
ネットニュースもある。
動画配信サービスもある。
パソコンを開けば、いくらでも情報が出てくる。
それでもテレビをつける。
なぜだろう。
たぶん僕にとってテレビは、見るものから、部屋に流しておくものへ変わってきたのだと思う。
無音になると部屋が急に広く感じる
テレビを消してみる。
すると急に静かになる。
冷蔵庫の音。
パソコンのファン。
外を走る車。
たまに聞こえる人の声。
それまで気づかなかった音が聞こえてくる。
そして不思議なことに、部屋が少し広くなったように感じる。
もちろん部屋の大きさは変わっていない。
でもテレビから人の声が聞こえていると、そこに誰かがいるような感覚が少しある。
テレビを消した瞬間、
「ああ、一人なんだな」
と感じることがある。
だから無意識にテレビをつけているのかもしれない。
誰かの会話が聞こえているだけで違う
一人暮らしでは、自分から話さなければ部屋の中で会話は起きない。
当たり前だ。
家族と暮らしていれば、
「今日どうだった?」
「ご飯どうする?」
「明日は何時?」
そんな何でもない会話がある。
一人ならない。
自分で自分に話しかけない限り、部屋は静かなままだ。
そこにテレビをつける。
すると誰かが話し始める。
こちらに話しかけているわけではない。
こちらが返事をする必要もない。
それでも人間の声がある。
この**「返事をしなくても存在する会話」**が、一人の部屋にはちょうどいいことがある。
見ていない番組でも消さない
テレビをつけているのに、内容をほとんど覚えていないことがある。
これは本当に「テレビを見ている」と言えるのだろうか。
ニュースが終わる。
次の番組になる。
さらに別の番組になる。
その間、自分はパソコンで作業している。
テレビ画面を見たのは数回だけ。
それでも消さない。
つまり目的は番組ではない。
音が流れている状態そのものが必要なのだ。
ラジオでもいいのかもしれない。
音楽でもいいのかもしれない。
でもテレビには人の会話がある。
ニュース。
笑い声。
拍手。
天気予報。
CM。
いろいろな音が勝手に入れ替わる。
自分で選び続けなくていいのも楽だ。
YouTubeとは少し違う
YouTubeでも同じことはできる。
動画を再生しておけば、人の声が聞こえる。
むしろ自分の好きなものだけを選べる。
それでもテレビとは少し違う。
YouTubeは、
「何を見るか」
を自分で決めることが多い。
おすすめ動画を見る。
検索する。
クリックする。
次の動画を選ぶ。
テレビは、つけてしまえば勝手に進んでいく。
興味のない話題も流れる。
知らない人も出てくる。
知らなかったニュースも入ってくる。
この受け身の感じが、一人で過ごしているときには楽なことがある。
何も選ばなくていい。
テレビ側が勝手に時間を進めてくれる。
朝のテレビには時計のような役割がある
朝のテレビは特に分かりやすい。
ニュースが始まる。
天気予報になる。
次のコーナーが始まる。
それを見ながら、
「そろそろこの時間か」
と分かる。
時計を見なくても、番組の流れで時間を感じられる。
一人暮らしでは、自分で生活のリズムを作らなければならない。
誰かが、
「もうこんな時間だよ」
と言ってくれるわけではない。
その代わりにテレビが時間を知らせてくれる。
朝のニュース番組をつけっぱなしにするのは、情報収集だけではなく、生活の時計として使っている部分もあると思う。
夜になるとテレビの意味が変わる
夜は少し違う。
仕事や用事が終わる。
食事をする。
風呂に入る。
あとは寝るだけ。
一人暮らしでは、夜の時間が長く感じることがある。
そんなときにテレビをつける。
バラエティ番組で誰かが笑っている。
ドラマで誰かが話している。
ニュースでは今日起きたことを振り返っている。
自分はその中に参加しているわけではない。
それでも部屋の空気が少し変わる。
完全な静寂ではなくなる。
一日の終わりに、人の声がある。
それだけで落ち着く夜もある。
テレビは「人の気配」なのかもしれない
考えていくと、僕がテレビをつけっぱなしにする理由は、番組そのものだけではない気がする。
テレビから聞こえる、
人の声。
笑い声。
音楽。
街の映像。
ニュース。
それらが人の気配の代わりになっているのではないだろうか。
もちろん本当に誰かがいるわけではない。
テレビを消せば終わる。
だからこそ気楽でもある。
会話しなくていい。
気を遣わなくていい。
自分の好きなことをしていていい。
眠くなれば寝ればいい。
一人の自由を邪魔しない程度に、人の気配だけがある。
これは一人暮らしと相性がいい。
一人暮らしは自由だけれど静かでもある
一人暮らしには良いところがたくさんある。
好きな時間に寝られる。
好きなものを食べられる。
部屋をどう使うかも自由。
テレビのチャンネル争いもない。
誰かに生活を合わせる必要もない。
ただ、その自由には静けさもついてくる。
誰にも邪魔されないということは、誰も話しかけてこないということでもある。
これは悪いことではない。
一人で静かに過ごしたい日もある。
むしろ静かな時間が好きな人もいる。
でも毎日ずっと静かだと、少し音が欲しくなることもある。
そのときテレビのスイッチを入れる。
消すと本当の夜が始まる
寝る前。
テレビを消す。
急に静かになる。
この瞬間がけっこう好きでもある。
一日中ついていたテレビが消えると、
「今日はもう終わりだ」
という感じがする。
部屋の照明を少し落とす。
スマホを見る。
布団に入る。
テレビをつけっぱなしにしていたからこそ、消した後の静けさが分かる。
ずっと無音なら、この変化はない。
音がある時間と、音がない時間。
その切り替えが生活の区切りになっているのかもしれない。
電気代を考えれば消したほうがいい
もちろん、テレビを見ていないなら消したほうが電気は使わない。
節電を考えれば当然だ。
「ほとんど見ていないのに、なぜつけているんだ?」
と自分でも思う。
だから最近は、必要のないときには消してみるのもいいと思っている。
テレビの代わりに音楽を流す。
ラジオを聞く。
何も流さず静かな時間を過ごす。
そういう選択肢もある。
テレビをつけっぱなしにすることが正解という話ではない。
ただ、なぜ自分がそうしてしまうのかを考えてみると、単なる癖だけではないことに気づいた。
一人だからテレビをつける
家族と一緒に暮らしていたら、同じ使い方をしていただろうか。
分からない。
誰かが近くにいて、普通に会話があるなら、テレビを「人の声を聞くため」に使う必要は少なくなるかもしれない。
一人の部屋だからこそ、テレビが少し違う役割を持つ。
娯楽。
情報。
時計。
そして、人の気配。
一台のテレビがいくつもの役割を持っている。
今日もテレビはついている
この記事を書きながら、改めて考える。
本当に見たい番組だからテレビをつけているのか。
そうではない日も多い。
何となくスイッチを入れる。
人の声が聞こえる。
そのまま別のことを始める。
そして何時間かたって、
「全然見てなかったな」
と思う。
それでも、まったく意味がなかったとは思わない。
テレビから聞こえる声が、一人の部屋の空気を少しだけ変えていたからだ。
一人暮らしは自由だ。
誰にも邪魔されない。
自分の時間を全部自分で使える。
その一方で、静かすぎる瞬間もある。
そんなとき、テレビをつける。
真剣に見るわけではない。
ただ、誰かが話している。
それだけでいい。
一人の部屋でテレビをつけっぱなしにする理由。
僕の場合、それはテレビが見たいからだけではない。
一人でいる自由はそのままに、ほんの少しだけ「誰かがいるような音」が欲しいからなのかもしれない。


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