自分の人生を100点満点で採点するとしたら、何点になるのだろう。
そんなことを、ふと思った。
学校ならテストがある。
100点なら満点。
80点ならかなりできた。
50点なら半分。
30点なら「もう少し頑張ろう」と言われるかもしれない。
仕事にも評価がある。
売上、給料、役職、成果。
数字に置き換えられるものは多い。
でも、人生には正式な採点表がない。
それでも自分たちは、ときどき自分の人生に点数をつけている。
「あの人は成功している」
「自分はまだまだだ」
「もっと違う人生があったかもしれない」
そんなことを考えている時点で、無意識に採点しているのだと思う。
では、自分の人生は何点なのだろう。
今日は少し本気で考えてみることにした。
まず「100点の人生」が分からない
いきなり問題にぶつかった。
そもそも100点とは何なのか。
お金がたくさんあれば100点なのか。
大企業で出世すれば100点なのか。
結婚して家族がいれば100点なのか。
大きな家を買えば100点なのか。
健康なら100点なのか。
全部持っている人が100点なのか。
考えてみると、基準がない。
学校のテストなら正解が決まっている。
人生には正解がない。
だから人生を100点満点で採点すること自体、かなり無理がある。
それでも点数をつけてみたい。
理由は単純だ。
今の自分が自分の人生をどう見ているのか分かる気がするからだ。
お金だけなら高得点とは言えない
まず分かりやすいところから考える。
お金だ。
世の中では成功を収入や資産で判断することが多い。
確かにお金は重要だ。
家賃も払う。
食事もする。
電気代も払う。
老後にもお金は必要になる。
お金があれば選択肢も増える。
だから経済力を人生の採点項目から完全に外すことはできない。
ただ、自分の人生全部を年収だけで採点するのも違うと思う。
年収が高くなくても、毎日楽しく暮らしている人はいる。
逆に、お金があっても苦しんでいる人はいる。
お金は人生の重要な一科目ではあるが、人生そのものではない。
そんな感じがする。
仕事は何点だろう
仕事について考えてみる。
長く働いてきた。
若いころと今では、仕事の内容も環境も変わった。
昔覚えた技術が古くなることもある。
新しい技術が登場する。
AIまで出てきた。
そのたびに、
「これからどうする?」
と考える。
もし仕事人生を「一つの会社で出世して役員になる」という基準だけで採点すれば、自分の点数は高くないかもしれない。
しかし、別の基準なら違う。
環境が変わっても働く。
知らないことを覚える。
古い経験を使いながら、新しいものにも触れる。
何度か方向を変えながら、それでも仕事を続ける。
これも一つの能力だと思う。
人生の採点では、結果だけでなく「途中で降りなかったこと」も点数に入れていいのではないだろうか。
恋愛を採点すると難しい
恋愛はさらに採点が難しい。
うまくいったこともある。
うまくいかなかったこともある。
好きになった人。
会えた人。
会えなくなった人。
連絡が続いた人。
突然連絡が途切れた人。
思い出すと、いろいろある。
恋愛を「結婚できたら100点」と決めれば簡単だ。
でも、それでは途中にあった時間が全部ゼロになってしまう。
誰かを好きになったこと。
会える日を楽しみにしたこと。
一緒に食事をしたこと。
別れた後に落ち込んだこと。
それも全部、自分が実際に経験した時間だ。
成功か失敗かだけでは分けられない。
失敗は減点なのか?
人生を採点するとき、最も気になるのが失敗だ。
「あのとき、こうしておけばよかった」
と思うことはある。
違う会社を選んでいたら。
違う勉強をしていたら。
あの人に違う言葉をかけていたら。
もっと早く行動していたら。
過去を振り返れば、いくらでも出てくる。
普通のテストなら間違えれば減点される。
でも人生ではどうなのだろう。
失敗した。
そこから何かを知った。
次の行動が変わった。
それなら、本当にマイナスだけなのか。
失敗した瞬間は0点でも、10年後にはその経験が20点分くらいの意味を持つこともある。
人生の採点が難しい理由は、昔の出来事の点数が後から変わることなのかもしれない。
子どものころの自分から見たら?
ここで視点を変えてみる。
小学生だった自分が、今の自分を見たらどう思うだろう。
おそらく細かい年収や肩書なんて気にしない。
「大人になった自分は何をしている?」
と見るはずだ。
パソコンを使って仕事をしている。
東京で生活している。
インターネットを使って文章を書いている。
AIという、子どものころには想像もしなかったものを使っている。
そう考えると少し不思議だ。
今の自分には当たり前の日常でも、昔の自分から見ればSFのような生活かもしれない。
現在だけを基準にすると不足しているものばかり見える。
しかし昔の自分から見ると、意外に面白い場所まで来ている。
他人と比較すると点数は下がりやすい
人生の採点を難しくする最大の原因は、他人との比較かもしれない。
自分より収入が高い人。
大きな家に住んでいる人。
有名になった人。
会社を経営している人。
家族に囲まれている人。
SNSを開けば、いくらでも出てくる。
上だけ見れば終わりがない。
年収1000万円の人は1億円の人を見る。
1億円の人はもっと上を見る。
比較を続ける限り、100点には永遠に到達できない。
だから人生を採点するなら、
他人の答案を見ながら自分の答案を採点しない。
これが必要なのだと思う。
では自分は何点なのか
ここまで考えて、ようやく点数をつけてみる。
自分なら現時点で、
70点くらい
をつけたい。
100点ではない。
もっとできたことはあったと思う。
仕事も、お金も、人間関係も、人生設計も、改善できる部分はたくさんある。
だから90点や100点とは言えない。
でも30点とも思わない。
ここまで生きてきた。
働いた。
人を好きになった。
失敗した。
環境が変わった。
それでもまた何かを始めようとしている。
それなら少なくとも赤点ではない。
70点くらいなら、自分にあげてもいい気がする。
70点なら、あと30点残っている
そして面白いことに気づいた。
70点という数字を、
「30点足りなかった」
と見ることもできる。
でも、
「まだ30点追加できる」
と見ることもできる。
人生は学校のテストと違う。
答案を提出して終わりではない。
今日も続いている。
明日もある。
新しい仕事を覚えることもできる。
新しい場所へ行くこともできる。
新しい人と出会うこともできる。
何かを作ることもできる。
今までやらなかったことを始めることもできる。
つまり現在の点数は最終結果ではない。
50代から点数が急に上がってもいい
若いころ、自分は人生というものをもっと直線的に考えていた気がする。
20代でこれ。
30代でこれ。
40代ならこれ。
50代ならこうなっている。
そんなモデルが何となく存在していた。
しかし実際の人生はそんなにきれいではない。
止まることもある。
戻ることもある。
突然方向が変わることもある。
だったら50代から急に点数が上がってもいい。
60代で最高点を更新してもいい。
「人生のピークは若いころ」と決める必要もない。
100点を取る必要もないのかもしれない
さらに考えると、本当に100点を目指す必要があるのかとも思う。
100点の人生。
完璧な仕事。
完璧なお金。
完璧な恋愛。
完璧な健康。
完璧な人間関係。
そんなものは、おそらく存在しない。
一つがうまくいけば、別のところで悩む。
人間はそういうものなのかもしれない。
だったら、
「今は70点。でも結構面白い」
くらいの人生でも悪くない。
今日一日だけなら何点?
人生全体を採点するのが難しいなら、一日単位で考える方法もある。
今日は何点だった?
仕事をした。
食事をした。
少し歩いた。
記事を一本書いた。
誰かと話した。
よく眠れた。
それだけでも70点の日になるかもしれない。
何もできなかった日は40点でもいい。
翌日に60点へ戻せばいい。
人生の点数は、毎日の小さな点数の積み重ねなのだと思う。
最後に採点するのはまだ早い
結局、自分の人生が本当に何点だったのかは、今の自分には分からない。
まだ途中だからだ。
今日70点だと思っていても、10年後には、
「あのころはまだ50点だったな」
と思うかもしれない。
逆に、
「あのころは十分幸せだった」
と思う可能性もある。
人生の出来事は、時間が経つと意味が変わる。
だから現時点の採点は、あくまで途中経過だ。
まとめ|今の自分には70点をつけておく
自分の人生を100点満点で採点したら何点だろう。
考えてみた結果、自分は今のところ70点くらいにしておきたい。
完璧ではない。
後悔もある。
失敗もある。
まだ欲しいものもある。
やってみたいこともある。
でも、ここまでの人生全部を否定するほど悪くもなかった。
そして何より、まだ答案を提出する時間ではない。
人生の採点で面白いのは、これから自分で点数を書き換えられることだ。
今日、新しいことを一つ始めれば+1点。
行ったことのない場所へ行けば+1点。
何かを完成させれば+1点。
誰かと笑えれば、それも+1点でいい。
そう考えると100点とは「完璧な人生」ではなく、自分なりに最後まで生きた結果なのかもしれない。
今は70点。
残り30点。
その30点をどこで取るのかは、まだ決まっていない。
だから人生は、もう少し続けてみないと採点できない。


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