東京へ引っ越してから、生活の中で少しずつ変わったことがある。
その一つがコインランドリーだ。
群馬に住んでいた頃も利用したことはあったが、頻繁ではなかった。
しかし東京では部屋の広さや洗濯環境の関係もあり、コインランドリーを使う機会が増えた。
先日、近所にあるコインランドリーを利用した。
それが シェアーズランドリー落合店 だった。
店頭の案内を見ると、「洗剤不要」と書かれている。
最近のコインランドリーでは珍しくない。
洗剤や柔軟剤が自動投入されるタイプだ。
利用者は洗濯物を入れてお金を投入するだけ。
とても便利そうに見える。
しかし実際に利用してみると、少し複雑な感想が残った。
今回はその話を書いてみたい。
洗剤不要という言葉の安心感
最初に感じたのは安心感だった。
洗剤を持って行かなくていい。
柔軟剤も不要。
忘れ物の心配もない。
仕事帰りや買い物帰りでも気軽に利用できる。
これは確かに便利だ。
荷物が減るだけでも気持ちが楽になる。
現代人は面倒なことを減らしたい。
その意味では「洗剤不要」は魅力的な言葉だった。
私も特に深く考えず利用することにした。
実際に使ってみた
洗濯物を入れる。
料金を投入する。
スタートボタンを押す。
操作は簡単だった。
店内も比較的きれいだった。
待っている間はスマホを見たり、近くを散歩したりできる。
問題はなかった。
しかし洗濯が終わったあと、少し気になることがあった。
思っていたほど洗剤の香りがしない。
もちろん強い香りが良いわけではない。
ただ、「本当にしっかり洗えているのかな」という感覚が少し残った。
これは感覚的な話なので人によって違うと思う。
しかし私の第一印象はそんな感じだった。
洗剤が見えない不安
家庭の洗濯機なら自分で洗剤を入れる。
量も見える。
柔軟剤も見える。
だから安心できる。
一方で自動投入は中身が見えない。
どのくらい入ったのか分からない。
本当に補充されているのかも利用者には分からない。
もちろん店舗側は管理しているはずだ。
それでも人間は見えないものに不安を感じる。
実際の洗浄力とは別問題である。
「ちゃんと洗った感」が得られないのだ。
これはコインランドリー全体の課題かもしれない。
本当に必要なのは安心感
洗濯という行為は面白い。
実際に汚れが落ちているかどうかだけではない。
利用者は安心感を求めている。
自分で洗剤を入れた。
しっかり回った。
良い香りがする。
だからきれいになったと思える。
逆に自動化されすぎると不安になる。
便利になったはずなのに納得感が減る。
これは洗濯だけではない。
AIも同じだ。
便利だが中身が見えない。
だから不安になる。
人間は合理性だけで動いているわけではないのだと思う。
東京生活で感じること
東京へ来てから感じるのは、何でも効率化されていることだ。
セルフレジ。
モバイル決済。
無人店舗。
自動投入のコインランドリー。
確かに便利である。
しかし便利さが増えるほど、人間らしい確認作業は減っていく。
その結果、「本当に大丈夫かな」と感じる場面も増える。
今回の洗濯もそうだった。
実際には問題ないかもしれない。
それでも少し物足りなさが残った。
ひとり暮らしと洗濯
ひとり暮らしをしていると洗濯は意外と重要なイベントになる。
誰かが代わりにやってくれるわけではない。
汚れた服は自分で洗う。
干す。
たたむ。
しまう。
当たり前の作業だが、生活を維持するためには欠かせない。
だからこそ洗濯環境への不満は意外と記憶に残る。
食事と同じくらい生活の土台だからだ。
微妙だったという感想
誤解してほしくない。
利用できないほど悪かったわけではない。
店内もきれいだった。
操作も簡単だった。
洗濯自体も終わった。
しかし期待値が高かった分だけ、「思ったほどではなかった」という感想になった。
だから私にとっては「微妙だった」が正直な評価である。
すごく良いわけでもない。
すごく悪いわけでもない。
その中間だ。
ソロ生活はこういう感想でできている
ひとりで生活していると、大きな事件はあまり起きない。
代わりに小さな感想が積み重なる。
このスーパーは良かった。
この店はまた行きたい。
このサービスは微妙だった。
そんな小さな評価の集合体が生活になる。
今回のコインランドリーもその一つだった。
誰かにとっては最高かもしれない。
私には少し合わなかった。
それだけの話である。
しかし、そういう小さな違和感を書き残しておくこともソロログの面白さだと思う。
まとめ
シェアーズランドリー落合店を利用してみた。
洗剤不要という便利な仕組みは確かに魅力だった。
ただ、私自身は少し物足りなさを感じた。
洗剤が見えない。
香りも控えめ。
本当に洗えているのか少し不安になる。
もちろん感じ方は人それぞれだ。
便利だと思う人も多いだろう。
しかし今回の私の率直な感想は、「悪くないけれど微妙だった」である。
東京でのひとり暮らしは、こうした小さな体験の積み重ねでできている。
今日の洗濯も、その一ページだった。


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