スーパーマリオカートをずっと友達に貸したまま、返してもらっていない話

Solo Actions|ひとり行動ログ

昔、友達にゲームを貸した。

そのゲームが、スーパーファミコンのスーパーマリオカートだった。

当時は今のようにゲームをダウンロードして買うのではなく、カセットを本体に差し込んで遊ぶ時代だった。

友達同士でゲームを貸し借りすることも珍しくなかったと思う。

「ちょっと貸して」

「いいよ」

そんな軽いやり取りでゲームを貸す。

数日後、あるいは数週間後に返してもらう。

普通ならそれで終わる話だ。

ところが私が貸したスーパーマリオカートは、ずっと返ってこなかった。

そして今でも返してもらっていない。

いつの間にか時間が経っていた

最初から「返してもらえない」と思っていたわけではない。

貸した直後なら、

「そのうち返してくれるだろう」

くらいに考えていたはずだ。

友達なのだから、わざわざ返却日を決めることもしない。

レンタルショップではないので、

「○月○日までに返して」

なんて言う必要も感じなかった。

ところが、この「そのうち」が意外と危ない。

一週間が一か月になる。

一か月が半年になる。

半年が一年になる。

時間が経つほど、

「そういえば、あのゲームどうした?」

と聞きにくくなっていく。

貸した側なのだから普通に聞けばいい。

それなのに時間が経つと、なぜかこちらまで言い出しにくくなる。

スーパーマリオカートはかなり遊んだゲームだった

スーパーマリオカートは、私にとってまったく興味のないゲームではなかった。

かなり遊んだ記憶がある。

一人でも遊べるし、友達と一緒に遊ぶこともできる。

単純に速く走ればいいだけではなく、アイテムによって展開が変わるところも面白かった。

レースゲームが特別得意だったわけではないが、何度も遊びたくなるゲームだった。

だから、本来なら手元に残しておきたかった。

それでも友達に貸した。

おそらく当時は、

「また返してもらえばいい」

という感覚だったのだろう。

何十年も返ってこない可能性など考えるはずもなかった。

「返して」と言えばよかっただけかもしれない

今になって考えると、解決方法はものすごく簡単だった。

「マリオカート返して」

これだけ言えばよかった。

もちろん、それで確実に返ってきたかどうかは分からない。

相手がなくしていた可能性もある。

さらに誰かへ貸していた可能性だってある。

ただ、少なくとも一度確認することはできた。

しかし私は、それをしなかった。

なぜ言わなかったのか。

正確な理由はもう覚えていない。

忘れていた時期もあっただろうし、思い出しても「まあいいか」と流したこともあったと思う。

数千円のゲーム一本のために友達との関係を悪くしたくないという感覚も、どこかにあったのかもしれない。

貸した物は時間が経つほど返ってこなくなる

これはゲームだけの話ではないと思う。

本。

CD。

DVD。

漫画。

ゲーム。

ちょっとした道具。

人に物を貸した経験がある人なら、

「あれ、そういえば返してもらっていないな」

という物が一つくらいあるかもしれない。

貸した直後なら、お互いに覚えている。

しかし半年、1年と経過すると、借りた側も忘れてしまう。

さらに時間が経つと、その物が誰の物だったのかすら曖昧になる。

だから、本当は早めに返してもらうのが一番いい。

「いつでもいいよ」

という貸し方は気楽だが、本当にいつまでも返ってこないことがある。

私のスーパーマリオカートがまさにそうだった。

今さら返してほしいかと言われると微妙

では、今からその友達に連絡できるとして、

「昔貸したスーパーマリオカートを返して」

と言いたいか。

これは少し迷う。

当時なら返してほしかった。

しかし、ここまで時間が経つと意味が変わってくる。

ゲームとして遊びたいだけなら、現在は別の方法もある。

中古品を探すという方法もあるだろう。

だから実用品として絶対に必要というわけではない。

それよりも、

「自分が昔持っていたカセット」

というところに価値を感じる。

自分が買った、あるいは家にあったゲーム。

自分が実際に何度も遊んだ物。

そう考えると、同じタイトルの中古品を買っても完全に同じではない。

物には記憶が付いている。

もし今返ってきたら面白い

逆に考えると、今突然返ってきたらかなり面白い。

「そういえば、これ借りたままだった」

と言われてスーパーマリオカートのカセットを渡されたら、私はかなり驚くと思う。

そしておそらく笑ってしまう。

「今かよ」

と言うだろう。

カセットに傷が付いているかもしれない。

箱なんて残っていないかもしれない。

説明書もないかもしれない。

それでも、自分が昔遊んでいたカセットだったら少しうれしいと思う。

ゲーム一本なのに、その瞬間だけ何十年も前へ戻れる。

物にはそういう力がある。

昔のゲームを見ると当時の生活まで思い出す

レトロゲームの面白いところは、ゲーム内容だけを思い出すわけではないところだ。

スーパーファミコンを見ると、

当時住んでいた場所。

テレビ。

部屋。

一緒に遊んだ人。

学校や仕事。

その頃の生活。

そういったものまでセットで思い出すことがある。

ゲームは記憶のスイッチのようなものなのかもしれない。

だからスーパーマリオカートが返ってこなかったという小さな出来事も、何十年後まで覚えている。

高価な物を失ったという話ではない。

ものすごく腹が立ったという話でもない。

ただ、

「あのゲーム、結局返ってこなかったな」

という妙な記憶だけが残っている。

今なら貸す前に少し考える

この経験があるので、今なら人に物を貸すときは少し考えると思う。

絶対になくしたくない物なら、そもそも貸さない。

貸すなら、いつ返してもらうかを軽く決めておく。

別に契約書まで作る必要はない。

「来週返して」

くらいで十分だ。

大切なのは、お互いに返すタイミングを認識しておくことだと思う。

そして返ってこなければ、早めに聞く。

遠慮して何年も放置するより、そのほうがお互いに楽だ。

友達を責めたいわけではない

この記事を書いているのは、その友達を責めたいからではない。

これだけ昔の話になると、相手がどんな事情で返さなかったのかも分からない。

忘れていただけかもしれない。

私自身も返してほしいとはっきり言わなかった。

だから、

「貸した側にも、もっと早く確認できるタイミングはあった」

と思っている。

人間関係では、こういう小さなことが意外とそのままになりやすい。

どちらかが悪いと決めるより、

「そういうこともあったな」

くらいで残しておくほうが、今の自分には合っている。

ゲームは戻らなかったけれど、記憶は残った

スーパーマリオカートは返ってこなかった。

少なくとも私の記憶では、貸したままだ。

当時はただのゲーム一本だった。

しかし何十年も経つと、不思議なことに一つの思い出になっている。

もし普通に返してもらっていたら、この出来事自体を忘れていた可能性もある。

返ってこなかったから覚えている。

そう考えると少し皮肉だ。

ゲームそのものは手元からなくなった。

しかし、

「友達に貸したスーパーマリオカートがずっと返ってこない」

という小さな記憶だけは残った。

昔の物を思い出すと、その物だけではなく、当時の自分まで一緒に思い出すことがある。

たった一本のゲームカセットでも同じだ。

今さら取り戻したいというほどではない。

それでも、ときどき思う。

あのスーパーマリオカート、今どこにあるんだろう。

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