東京を歩いていると、ときどき知っている道路の名前が突然目の前に現れることがある。
今回、目の当たりにしたのは「川越街道」だった。
川越街道を歩こうと思って出かけたわけではない。
川越を目指していたわけでもない。
何かの観光スポットを探していたわけでもない。
歩いている途中で交差点に出て、そこを横切った。
それだけだった。
しかし、その道路が川越街道だと分かった瞬間、少しだけ立ち止まりたくなった。
「ここが川越街道なのか」
東京に引っ越してから、歩くことで知った道が少しずつ増えている。
今回もまた、自分の中の東京の地図に一本、新しい線が加わったような気がした。
川越街道を歩いたわけではない
今回の記事で最初にはっきりさせておきたい。
私はこのとき、川越街道を長距離歩いたわけではない。
川越街道沿いを1時間歩いたわけでもない。
まして川越まで歩いたわけでもない。
交差点で横切っただけだ。
時間にすれば、ほんのわずかだったと思う。
だから「川越街道を歩いてみた」という体験談にはできない。
それでも、私には少し印象に残った。
道路というものは、地図で見ていると単なる線に見える。
しかし実際に自分の足でその場所まで行って道路を見ると、急に現実のものになる。
車が走っている。
信号がある。
歩道がある。
道路の向こうにも街が続いている。
当たり前のことなのだが、
「この道がずっと先まで続いているのか」
と考えると面白い。
名前を知っている道路は少し違って見える
もし何も知らなければ、普通の大きな道路として通り過ぎていたかもしれない。
しかし「川越街道」という名前を知っている。
それだけで見え方が変わった。
川越という地名まで道がつながっているイメージが頭に浮かぶ。
この方向へ進んだらどうなるのだろう。
何時間歩けば東京から離れた感じがしてくるのだろう。
埼玉まで歩いて行けるのだろうか。
そんなことを考える。
道路そのものは何も変わっていない。
変わったのは、自分がその道路の名前を知ったことだけだ。
街歩きでは、こういう小さな発見が意外と面白い。
東京へ来てから道路を見るようになった
以前なら、目的地へ行くことの方が重要だった。
駅から目的地へ行く。
用事が終わったら駅へ戻る。
電車に乗って帰る。
その場合、途中にどんな道路があったかはあまり意識しない。
ところが歩く時間が増えると、道路そのものが気になるようになった。
中野通り。
環七通り。
明治通り。
そして今回の川越街道。
電車で移動していると、東京は駅と駅の集合のように感じる。
新宿。
池袋。
中野。
渋谷。
目的地になる駅の名前が頭に残る。
しかし徒歩で移動すると、駅と駅の間にある道路が見えてくる。
「この道はどこへ続いているのだろう」
という見方になる。
東京の見え方が少し変わってきた。
横切っただけでも次の目的地になる
今回、川越街道を横切ったことで、一つ新しい興味が生まれた。
今度は横切るのではなく、
川越街道に沿って歩いてみたい。
最初から端から端まで歩く必要はない。
まず1時間でもいい。
川越街道を1時間歩いたらどこまで行けるのか。
2時間ならどうか。
10kmならどこまで進めるのか。
東京から埼玉方面へ歩いていくと、街並みはどのあたりから変わるのか。
途中で疲れたら、どの駅から帰れるのか。
一度道路を知ると、次々と疑問が出てくる。
ブログを書いていると、この疑問がそのまま記事候補にもなる。
「何もしていない日」に見えてもネタはある
川越街道を横切っただけ。
それだけを考えると、大きな出来事ではない。
旅行でもない。
長距離徒歩チャレンジでもない。
記録を残すほどのことではないと思う人もいるかもしれない。
しかしSolo Logでは、こういう小さな出来事も残しておきたい。
なぜなら、大きな挑戦の最初は意外と小さいからだ。
道路を見つける。
名前を知る。
気になる。
地図を見る。
どこまで続いているのか調べる。
少し歩いてみる。
さらに先まで行ってみる。
やがて「端から端まで歩いてみよう」と考える。
最初から大きな目標があったわけではない。
今回のように、たまたま交差点で道路を横切ったことが始まりになることもある。
街道という言葉にも少し引かれる
「○○通り」と「○○街道」。
個人的には、街道という名前には少し違った響きを感じる。
遠くまで続いている感じがする。
昔から人が移動してきた道というイメージもある。
もちろん、現在目の前にあるのは車が行き交う現代の道路だ。
それでも「川越街道」と聞くと、その先に川越があるように感じる。
実際に全部歩くとなれば簡単ではないだろう。
しかし徒歩の面白いところは、全部歩く必要がないことだ。
今日は1時間。
次は2時間。
また別の日に続きを歩く。
そんな楽しみ方もできる。
交差点が「入口」に見えてきた
今回の交差点は、普通に考えれば通過地点だった。
信号を渡る。
そのまま目的方向へ進む。
それで終わる場所だ。
しかし川越街道だと分かったことで、私には少し違って見えた。
交差点の先に一本の長いルートがある。
右へ行ったらどうなるのか。
左へ行ったらどうなるのか。
どちらかを選んで歩き始めれば、それだけで新しい徒歩企画になる。
交差点は道路が交わる場所だが、歩く人間にとっては「選択肢が増える場所」でもあるのかもしれない。
東京を歩く楽しみがまた一つ増えた
川越街道を目の当たりにした。
とはいっても、今回は横切っただけだった。
何km歩いたという記録もない。
何時間かかったという記録もない。
歩数を測ったわけでもない。
ただ、
「ここが川越街道なのか」
と思った。
それだけだ。
でも、東京を歩くようになってから、こういう瞬間が面白くなってきた。
知らなかった道を知る。
知った道が次の目的地になる。
そして、また歩く理由が一つ増える。
今回の川越街道も、私にとってはまだ「横切った道」にすぎない。
次に見るときは、横切るだけではなく、その道に沿って歩いているかもしれない。
街道歩きの始まりは、完歩を決意した瞬間ではなく、交差点でその道を初めて意識した瞬間なのかもしれない。


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