子どものころ、夏休みの朝には独特のワクワク感があった。
何か特別な予定があるわけではない。
旅行へ行く日でもない。
遊園地へ行く日でもない。
ただ朝起きただけ。
それなのに、
「今日は何をしよう」
という気持ちだけで楽しかった。
窓の外はすでに明るい。
セミが鳴いている。
学校へ行く必要はない。
時計を見ても焦らなくていい。
そして目の前には、まだ一日が丸ごと残っている。
今振り返ると、あの感覚はかなり特別だったと思う。
大人になってからも夏は来る。
しかし、子どものころの夏休みの朝と同じワクワク感はなかなか戻ってこない。
なぜなのだろう。
今回は、何十年たっても記憶に残っている「夏休みの朝」について振り返ってみたい。
学校へ行かなくていいというだけでうれしかった
夏休み最大の特徴は、当然ながら学校が休みになることだった。
普段なら朝起きる。
着替える。
朝ごはんを食べる。
学校へ行く準備をする。
時間を気にする。
そして学校へ向かう。
ところが夏休みは違う。
目が覚めた瞬間、
「今日は学校へ行かなくていい」
と思う。
これだけで気分が違った。
日曜日にも学校はない。
しかし夏休みは、その自由が翌日も続く。
明日も休み。
明後日も休み。
来週も休み。
子どもにとって、これはものすごいことだった。
朝なのに時間を気にしなくていい
普段の朝には時間制限がある。
何時までに起きる。
何時までに家を出る。
遅刻しないようにする。
子どもなりに時間に追われていた。
でも夏休みの朝は、その制限が一気に弱くなる。
多少ゆっくりしていてもいい。
テレビを見てもいい。
ぼんやりしていてもいい。
今日という一日をどう使うか、自分で決められる。
もしかすると、あのワクワク感の正体の一つは、「自分の時間を自分で使える」という自由だったのかもしれない。
セミの声が夏休みの音だった
夏休みの記憶を思い出すと、映像だけではなく音まで戻ってくる。
特にセミの声だ。
朝から鳴いている。
外へ出ればさらに大きく聞こえる。
当時は毎日のことなので、それほど意識していなかったと思う。
でも大人になってからセミの声を聞くと、突然子どものころの夏を思い出すことがある。
音と記憶は不思議だ。
何十年たっても、一瞬で昔へ戻してくれる。
朝からすでに暑かった
夏だから当然暑い。
今のように暑さを細かく確認していた記憶はない。
ただ、
「今日も暑そうだな」
くらいだった。
窓から入る光。
青い空。
強い日差し。
外へ出れば汗をかく。
それでも子どものころは、暑いから一日中家にいようとはあまり考えなかった。
むしろ、
「今日はどこへ遊びに行こう」
という気持ちのほうが強かった。
体力があったのだと思う。
「今日は何をしよう」が楽しかった
夏休みの朝には、まだ一日の予定が決まっていないことも多かった。
友達の家へ行く。
ゲームをする。
自転車に乗る。
外で遊ぶ。
テレビを見る。
家でだらだらする。
何でもいい。
今なら予定が決まっていないと、
「今日は何もしないで終わりそうだ」
と思うこともある。
でも子どものころは逆だった。
予定が決まっていないこと自体が可能性だった。
何が起こるか分からない。
それが楽しかった。
友達の家へ遊びに行ける
夏休みといえば、友達との時間も大きかった。
電話をする。
直接家へ行く。
前日に約束しておく。
「今日遊べる?」
それだけで一日の予定が決まる。
友達の家へ行ってゲームをするだけでも楽しかった。
今振り返れば、特別なイベントではない。
何時間も同じゲームをする。
誰かがプレイしているのを横で見る。
順番を待つ。
くだらない話をする。
それだけだった。
しかし、その「それだけ」が楽しかった。
一日がものすごく長かった
子どものころの夏休みを思い出すと、不思議なくらい一日が長い。
朝起きる。
遊ぶ。
昼ごはんを食べる。
また遊ぶ。
夕方になる。
家へ帰る。
夜になる。
一日の中に何日分もの出来事があったような感覚がある。
今は逆だ。
朝になったと思ったら、すぐ昼になる。
昼を過ぎたと思ったら夕方になる。
そして、
「もう一日終わりか」
となる。
同じ24時間なのに、体感はまったく違う。
夏休みそのものが永遠に続くように感じた
夏休みが始まった直後は特にすごかった。
まだ何十日も残っている。
カレンダーを見る。
「こんなに休みがある」
と思う。
終わりが見えない。
今なら一か月程度はあっという間だ。
しかし小学生にとっての一か月は、とても長かった。
だから夏休みの最初の朝には、
「これから長い自由時間が始まる」
という感覚があったのだと思う。
これ以上ワクワクする条件はなかなかない。
宿題という現実もあった
もちろん、夏休みは遊ぶだけではない。
宿題がある。
ドリル。
読書感想文。
自由研究。
絵。
学校によっていろいろあったと思う。
夏休みが始まった直後は、
「まだ時間がある」
と思う。
だから遊ぶ。
まだ大丈夫。
明日やればいい。
来週でもいい。
そして夏休みの後半になって焦る。
これは夏休みの定番だった。
7月と8月後半では空気が違った
同じ夏休みでも、最初と最後では気分がまったく違う。
始まったばかりの7月。
まだ大量に休みが残っている。
何でもできる気がする。
ところが8月後半になる。
カレンダーを見る。
「あれ?」
残り日数が少ない。
宿題も残っている。
そして頭の片隅に学校が戻ってくる。
あれほど長く感じた夏休みが、突然短くなる。
子どものころから「休みはいつか終わる」ということを学んでいたのかもしれない。
朝のテレビにも特別感があった
普段なら学校にいる時間に家にいる。
これだけでも不思議だった。
朝のテレビを見る。
普段なら見られない番組を見る。
時計を見る。
「今ごろ学校なら授業中だな」
と思う。
それだけで少し得した気分になる。
大人になって平日に休みを取ったときの感覚に少し似ている。
世の中は動いている。
でも自分は休み。
この感覚は気持ちいい。
昼になると朝とは違う気分になった
夏休みの一日で、一番可能性を感じるのは朝だったように思う。
昼になると一日の半分近くが終わっている。
夕方になれば、
「そろそろ帰ろう」
となる。
夜になれば今日が終わる。
だから朝は特別だった。
まだ何も起きていない。
今日という一日が全部残っている。
どこへ行ってもいい。
何をしてもいい。
子どもにとって、朝は一日のスタートというより、小さな冒険の入口だったのかもしれない。
大人になると夏休みがなくなる
社会人になると、子どものころのような長い夏休みは基本的になくなる。
夏になっても仕事へ行く。
電車に乗る。
いつもの時間に起きる。
暑くても平日なら働く。
もちろん夏季休暇がある仕事もある。
有給休暇もある。
しかし、小学生時代の夏休みとは感覚が違う。
数日休めても、
「あと一か月以上休みだ」
という世界にはなかなか戻れない。
お金がなくても楽しかった
これも今考えると大きい。
子どものころ、自由に使えるお金はほとんどない。
それでも一日遊べた。
友達の家へ行く。
ゲームをする。
自転車に乗る。
公園へ行く。
話をする。
それだけで時間が過ぎた。
大人になると、
「休日だからどこかへ行こう」
「何かおいしいものを食べよう」
「買い物しよう」
となりやすい。
子どものころは、お金より時間を持っていた。
しかも、その時間がものすごく長く感じられた。
ある意味では、とてもぜいたくだった。
なぜあんなにワクワクしたのだろう
改めて考えると、理由はいくつもある。
学校がない。
時間に追われない。
友達と遊べる。
一日が長い。
夏休みも長い。
初めて経験することが多い。
そして将来の心配をそれほどしていない。
つまり夏休みの朝には、
「自由」「時間」「期待」
が全部そろっていたのだと思う。
大人になると、この三つを同時に持つのは意外と難しい。
時間があっても仕事が気になる。
自由でもお金が気になる。
休みでも翌日の予定を考える。
子どものころには、それが少なかった。
もう一度、あの朝を体験してみたい
もし一日だけ子どものころの夏休みに戻れるなら、特別な日でなくていい。
旅行の日でもない。
お祭りの日でもない。
普通の夏休みの朝がいい。
朝起きる。
セミが鳴いている。
窓から明るい光が入っている。
今日は学校がない。
友達と遊ぶかもしれない。
家でゲームをするかもしれない。
まだ何も決まっていない。
その瞬間をもう一度味わってみたい。
当時の自分は、その時間がどれほど貴重なのか知らなかった。
今の普通の朝も、いつか懐かしくなる
ただ、昔を懐かしんでいると一つ気づく。
子どものころの自分も、
「この夏休みの朝を何十年後に懐かしく思う」
なんて考えていなかった。
普通の日だった。
ということは、今の普通の朝も同じなのかもしれない。
今住んでいる部屋。
窓から見える景色。
朝飲んでいるもの。
いつもの道。
いつもの駅。
今は何とも思わなくても、20年後には懐かしい可能性がある。
そう考えると、普通の日も少し違って見える。
まとめ|夏休みの朝には「一日全部」が残っていた
子どものころの夏休みの朝は、なぜあんなにワクワクしたのだろう。
大きな理由は、何か特別なイベントがあったからではないと思う。
むしろ逆だ。
まだ何も決まっていなかったから楽しかった。
学校へ行かなくていい。
時間に追われない。
友達と遊べる。
今日一日が丸ごと残っている。
しかも明日も休み。
そんな日が何十日も続く。
子どもの自分にとって、それは途方もない自由だった。
セミの声。
朝の日差し。
友達の家。
ゲーム。
自転車。
夕方まで続く遊び。
一つ一つは何でもないものだった。
それでも何十年たった今、記憶の中では特別な風景になっている。
大人になった今、あの夏休みそのものには戻れない。
でも、あのころの感覚から学べることはあるのかもしれない。
予定がないことを退屈だと思わない。
何でもない一日を無駄だと思わない。
朝起きたとき、
「今日は何をしよう」
と少しだけ楽しみにしてみる。
子どものころの夏休みの朝にあったワクワク感は、そんな単純なところから生まれていたのかもしれない。


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