夏休みの朝を思い出すと、いくつかの風景が浮かんでくる。
朝から鳴いているセミ。
強い日差し。
まだ静かな道路。
そして、ラジオ体操。
子どものころの夏休みには、朝になると近所の子どもたちが集まり、みんなでラジオ体操をする時期があった。
正直に言えば、毎朝楽しみで仕方なかったという記憶ではない。
むしろ、
「まだ眠い」
「もう少し寝ていたい」
と思っていた日もあったはずだ。
それでも起きる。
着替える。
外へ出る。
そして集合場所まで歩いていく。
不思議なことに、行ってしまえばそれなりに楽しかった。
今回は、そんな夏休みの普通の朝を思い出してみたい。
夏休みなのに早起きする
夏休みなのだから、本来なら好きな時間まで寝ていられる。
学校へ行く必要はない。
遅刻もない。
目覚まし時計を気にしなくてもいい。
そんな自由な期間なのに、ラジオ体操がある朝だけは違った。
朝早く起きなければならない。
「せっかくの夏休みなのに」
と少し思っていたかもしれない。
布団の中は気持ちいい。
外へ出るのは面倒だ。
でも時間になる。
仕方なく起きる。
今考えると、それも含めて夏休みの思い出になっている。
朝の空気は昼とは違った
家を出る。
すると、いつもの道路なのに少し違って見える。
昼間なら暑くて、人や車も動いている。
でも早朝はまだ静かだ。
空気も少しだけ涼しい。
遠くからセミの声が聞こえる。
太陽は出ているけれど、昼間ほど強烈ではない。
普段なら学校へ行くために歩く道を、今日はラジオ体操のために歩く。
それだけでも、どこか特別だった。
近所の子どもたちが集まってくる
集合場所へ行くと、少しずつ人が集まってくる。
同じ学校の子。
同じ学年の子。
年上の子。
年下の子。
普段それほど話さない子もいる。
みんな少し眠そうだ。
「おはよう」
と声をかける。
子どものころは特に意識していなかったが、学校以外で近所の子どもたちが一斉に集まる機会は意外と少ない。
ラジオ体操は、地域の子どもたちが顔を合わせる場所でもあった。
ラジオから流れてくる音
時間になる。
ラジオから聞き慣れた音楽が流れてくる。
並んで体操を始める。
腕を伸ばす。
体を横へ曲げる。
回す。
跳ぶ。
動きそのものは学校などでも経験している。
だから難しくない。
でも夏休みの朝、外で大勢と一緒にやると少し違う。
真剣にやる子もいる。
少し適当にやる子もいる。
周りを見ながら動く子もいる。
自分もその中の一人だった。
子どものころは意味を考えていなかった
なぜ朝からラジオ体操をするのか。
当時の自分は深く考えていなかった。
「夏休みだからやるもの」
くらいだったと思う。
健康のため。
生活リズムを崩さないため。
地域交流のため。
大人になればいろいろな意味を考えられる。
でも子どもにはそんなことは関係ない。
行くことになっているから行く。
体操する。
終わったら帰る。
それだけだった。
楽しみだった出席カード
ラジオ体操と聞いて思い出すものの一つが、出席カードだ。
参加すると印をもらう。
一日分が埋まる。
翌日また行く。
また一つ増える。
単純な仕組みなのに、子どもには少し楽しかった。
カードがだんだん埋まっていく。
「ここまで来たから明日も行こう」
と思う。
今で言えば、アプリの連続ログインに少し似ているのかもしれない。
人間は昔から「続いた記録」が見えるとうれしいのだろう。
ハンコ一つがうれしかった
体操そのものより、終わった後のハンコを楽しみにしていた子もいたと思う。
体操が終わる。
列になる。
カードを出す。
ポン。
それだけだ。
お金がもらえるわけではない。
豪華な景品でもない。
でもカードに印が増えるとうれしい。
大人になって考えると、本当に小さな報酬だ。
それでも十分だった。
体操が終わった瞬間の解放感
ラジオ体操そのものは、それほど長くない。
始まればすぐ終わる。
最後の動きが終わる。
「今日も終わった」
となる。
そして、ここからが本当の夏休みだった。
学校へ行く必要はない。
家へ帰ってもいい。
友達と少し話してもいい。
今日一日がまだ丸ごと残っている。
朝早く起きたぶん、一日がさらに長く感じた。
帰り道が好きだった
自分の中では、ラジオ体操をしている時間そのものより、終わった後の帰り道のほうが印象に残っている。
まだ朝だ。
太陽が少しずつ高くなっている。
近所の家から生活の音が聞こえ始める。
友達と途中まで一緒に歩くこともある。
「今日どうする?」
そんな話をしたかもしれない。
これから遊ぶ予定を決める。
夏休みの一日は、まだ始まったばかりだった。
朝ごはんがいつもよりおいしく感じた
少し体を動かして家へ帰る。
するとお腹が空いている。
朝ごはんを食べる。
普段と同じものでも、外へ出た後だから少しおいしく感じる。
食べながらテレビを見る。
今日何をするか考える。
この時点でもまだ朝。
学校がある日なら、すでに登校の準備をしている時間かもしれない。
それなのに今日は自由だ。
この感覚がうれしかった。
そのまま友達と遊ぶ日もあった
ラジオ体操で友達に会う。
そこで、
「あとで遊ぼう」
となる。
いったん家へ帰る。
朝ごはんを食べる。
そして再び友達の家へ向かう。
ゲームをする。
外で遊ぶ。
自転車に乗る。
何をしていたか細かく覚えていない日も多い。
でも、
朝から友達と一日の予定が決まっていく感じ
は夏休みらしかった。
夏休みなのに規則正しかった
今考えると、ラジオ体操がある日はかなり規則正しい。
朝早く起きる。
外へ出る。
体を動かす。
朝ごはんを食べる。
そして一日を始める。
大人になった今なら、
「健康的な朝だな」
と思う。
子どものころは、その価値など分からなかった。
むしろ「もっと寝たい」と思っていた可能性のほうが高い。
行きたくない日もあった
もちろん毎日気持ちよく起きられたわけではない。
眠い。
昨日遊びすぎた。
今日は面倒。
そんな朝もある。
「今日は休んでもいいかな」
と思う。
しかしカードを見る。
昨日までハンコが並んでいる。
一つ空くのが何となく嫌だ。
それで起きる。
子どもなりの小さな葛藤だった。
雨の日は少しうれしかった
朝起きる。
外を見る。
雨が降っている。
「今日はラジオ体操ないかな」
と思う。
中止だと分かると少しうれしい。
だったら最初から行きたくないのかというと、そうでもない。
晴れていれば行く。
行けば楽しい。
でも休みになるとうれしい。
学校の行事などでも似たような感覚があった。
子どもの気持ちは単純なようで複雑だった。
大人になってからやらなくなった
ラジオ体操自体は大人でもできる。
数分あれば終わる。
場所もそれほど必要ない。
健康にもよさそうだ。
それなのに、大人になってから毎朝やることはほとんどなくなった。
子どものころには半ば当たり前だった習慣が、大人になると消えていく。
不思議なものだ。
音楽を聞くだけで体が覚えている
何十年たっても、ラジオ体操の音楽を聞けば何となく体が動く。
次は腕を動かす。
次は体を曲げる。
細かい順番を忘れていても、音楽が流れると思い出す。
子どものころ何度も繰り返したことは、かなり深く体に残っているのだと思う。
記憶とは頭の中だけに残るものではないのかもしれない。
今なら早朝の価値が分かる
子どものころは、
「眠い」
と思っていた早朝。
でも今なら、あの時間の良さが分かる。
まだ暑くなりきっていない。
人も少ない。
空気が静か。
一日が始まる前の時間。
夏の早朝には、昼にも夜にもない雰囲気がある。
当時の自分は、その中を毎日のように歩いていた。
かなりぜいたくな時間だったのかもしれない。
一日が長く感じた理由
夏休みの一日が長かった理由の一つは、朝が早かったからではないだろうか。
ラジオ体操へ行く。
帰宅する。
朝ごはんを食べる。
それでもまだ朝。
そこから友達と遊ぶ。
昼になる。
また遊ぶ。
夕方になる。
夜になる。
一日の中にいくつもの区切りがある。
大人になって休日の昼近くまで寝てしまうと、一日はあっという間だ。
「もう昼か」
と思った時点で半分終わっている。
子どもの夏休みとは正反対だ。
特別ではなかったから覚えている
ラジオ体操へ行った日は、人生の大事件ではない。
旅行でもない。
誕生日でもない。
何かの大会でもない。
ただ朝起きて、近所まで歩き、みんなで体操して帰っただけだ。
それなのに何十年たっても覚えている。
人生の記憶は不思議だ。
特別な出来事だけが残るわけではない。
むしろ何度も繰り返した普通の風景のほうが、深く残ることがある。
もう一度あの朝を歩いてみたい
もし当時とまったく同じ夏休みの朝へ戻れるなら、もう一度歩いてみたい。
家を出る。
朝の日差しを見る。
セミの声を聞く。
集合場所へ向かう。
眠そうな友達を見る。
ラジオから音楽が流れる。
体操する。
カードにハンコを押してもらう。
そして家へ帰る。
当時なら何とも思わなかった一連の流れだ。
今なら一つ一つをじっくり見てしまうと思う。
今の普通の朝も残しておきたい
昔を振り返ると、現在についても考える。
今の朝も、何十年後には昔になる。
いつもの部屋。
窓から入る光。
近所を走る車の音。
駅へ向かう人。
コンビニ。
朝ごはん。
今は普通でも、20年後には懐かしいかもしれない。
そう考えると、普通の朝も少し大切にしたくなる。
まとめ|ラジオ体操まで含めて夏休みだった
子どものころ、夏休みの朝にラジオ体操へ行った。
眠い日もあった。
面倒な日もあった。
雨で休みになるとうれしい日もあった。
それでも晴れていれば外へ出る。
近所の子どもたちと集まる。
ラジオの音に合わせて体を動かす。
カードにハンコをもらう。
そして家へ帰る。
今振り返れば、何でもない朝だった。
でも、その何でもない朝の中に夏休みらしさが詰まっていた。
セミの声。
朝の日差し。
少し涼しい空気。
友達。
出席カード。
体操が終わった後の解放感。
そして、
「今日もまだ一日全部残っている」
という感覚。
おそらく自分が懐かしいのは、ラジオ体操そのものだけではない。
あのころの時間の流れ方なのだと思う。
夏休みは長かった。
朝も長かった。
一日も長かった。
そして明日もまた休みだった。
ラジオ体操へ行った夏休みの朝。
当時は普通だったその風景が、何十年たった今では、もう一度だけ歩いてみたい夏の記憶になっている。


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