20代の頃、私はバッティングセンターへ通うのが好きだった。
野球部だったわけではない。
大会に出ていたわけでもない。
それでも、バットを振る時間が好きだった。
中でも、一番挑戦していたのが145キロのマシンだった。
当時は「速い球ほど面白い」と思っていた。
最初はまったく打てなかった。
ボールが見えない。
タイミングが合わない。
バットが空を切る。
そんな状態からのスタートだった。
最初は恐怖しかなかった
145キロという数字だけでも、かなり速く感じる。
ボールが放たれた瞬間には、もう目の前まで来ているような感覚だった。
最初の何ゲームかは、まともに前へ飛ばすことすら難しかった。
空振り。
ファウル。
詰まったゴロ。
その繰り返しだった。
それでも不思議と嫌にはならなかった。
「次は打てるかもしれない。」
その期待だけで、またコインを入れていた。
少しずつ体が覚えていく
何度も打席へ立つうちに、少しずつ変化が現れた。
速い球を待つ感覚。
バットを出すタイミング。
体重移動。
頭で考えるというより、体が覚えていく感覚だった。
一球一球が練習だった。
気づけば、以前なら空振りしていた球にもバットが当たるようになっていた。
ある日、景色が変わった
忘れられない日がある。
その日は最初の一球から感触が違った。
「カンッ!」
乾いた音とともに、打球が一直線にネット上部へ飛んでいく。
次の球も。
その次の球も。
どの打球も、高い弾道で飛んでいった。
ホームランの判定があるわけではない。
それでも、自分の感覚では「ホームラン性」と思える当たりが続いた。
一球だけの偶然ではなかった。
最後までその感覚は続いた。
打てた理由は力ではなかった
当時を振り返ると、筋力だけでは説明できないと思う。
力任せに振れば、145キロには振り遅れる。
大切だったのは、タイミングだった。
無駄な動きを減らすこと。
ボールを最後まで見ること。
思い切って振り切ること。
基本を繰り返した結果が、あの日の打球につながったのだと思う。
自信になった経験
その日は誰かに見てもらっていたわけではない。
表彰されるわけでもない。
記録が残るわけでもない。
それでも、自分の中では大きな出来事だった。
「努力すればできる。」
その感覚を体で覚えた日だったからだ。
小さな成功体験だったが、その後の人生にも影響を与えたように思う。
人生にも似ている
今振り返ると、バッティングセンターは人生によく似ている。
最初は失敗ばかり。
何度やっても結果が出ない。
周囲から見れば、何も変わっていないように見える。
しかし、自分の中では少しずつ積み重なっている。
そして、ある日突然「できる日」が来る。
成長とは、そんなものなのかもしれない。
今ならどうだろう
あれから年月が過ぎた。
体力も、反射神経も20代とは違う。
今同じ145キロに挑戦したら、当時のようには打てないかもしれない。
それでも、あの経験が消えることはない。
一度身につけた感覚や努力の記憶は、自分の中に残り続ける。
年齢を重ねても挑戦できる
20代には20代の強さがある。
一方で、今には今の強さがある。
経験。
考え方。
継続する力。
昔と同じ結果は出なくても、新しい形で挑戦することはできる。
スポーツでも、仕事でも、趣味でも同じだ。
年齢だけで限界を決める必要はない。
あの日の自分に学ぶ
20代の私は、結果が出るまで何度もバットを振った。
失敗しても、また挑戦した。
その姿勢は、今の自分にも必要なのかもしれない。
新しいことを始める時、不安になることはある。
しかし、145キロのボールも、最初はまったく打てなかった。
それでも続けたから、打てる日が来た。
その経験は、今でも私の支えになっている。
まとめ
20代の頃、私はバッティングセンターで145キロのボールに挑戦し続けた。
そしてある日、自分でも驚くほど、ホームラン性の打球を何本も打ち返せた。
それは単なるスポーツの思い出ではない。
努力を積み重ねることの大切さを教えてくれた出来事だった。
人生では、すぐに結果が出ないことも多い。
それでも、小さな積み重ねは決して無駄にならない。
あの日の打球の感触を思い出すたびに、私は「もう一度挑戦してみよう」という気持ちになる。
20代の自分が証明してくれたのは、才能だけではなく、続けることの価値だった。
だからこれからも、新しい挑戦の前では、あの日のバッティングセンターを思い出したい。


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