「そんな距離を毎日歩くの?」
職場でこの話をすると、驚かれることがある。
私の通勤ルートは、落合駅から新宿三丁目駅付近まで。
電車を使えばあっという間の距離だが、私は徒歩で向かうことが少なくない。
人によっては「頭がおかしい」「変わっている」と思うかもしれない。
実際、自分でも「普通ではないかもしれない」と思うことはある。
それでも歩く理由がある。
今日は、徒歩通勤を続ける中で感じたことを書いてみたい。
最初は節約がきっかけだった
徒歩通勤を始めた理由は、特別なものではなかった。
交通費を少しでも節約したい。
運動不足を解消したい。
その程度の理由だった。
一度歩いてみると、「意外と歩ける」という感覚になった。
もちろん近いとは言えない。
それでも、一歩ずつ前へ進めば必ず目的地に着く。
その当たり前の事実が、少し面白かった。
朝の街は毎日違う
徒歩だと、街の変化がよく分かる。
季節によって空気が違う。
同じ道でも光の当たり方が違う。
工事が始まっていたり、新しい店ができていたり、閉店した店があったりする。
電車なら数分で通り過ぎる景色も、歩くことで細かな変化に気付ける。
毎日同じ道なのに、同じ日は一日もない。
考え事をする時間になる
歩いている時間は、私にとって考える時間でもある。
仕事のこと。
ブログのこと。
将来のこと。
記事のタイトル。
新しいカテゴリー。
ソロログの企画。
歩いていると、不思議とアイデアが浮かぶ。
家で机に向かっていても思いつかないことが、信号待ちや公園の横を歩いている時に突然浮かぶことがある。
そのため、徒歩通勤は「移動時間」というより、「思考時間」になっている。
健康への効果も感じる
歩き始めてから、以前より体を動かす習慣ができた。
長時間座りっぱなしの日が続くと体が重く感じるが、歩く日は気分が違う。
もちろん疲れる日はある。
暑い夏や寒い冬は決して楽ではない。
それでも歩き終えた後には、「今日も歩けた」という小さな達成感が残る。
運動は特別なことではなく、日常生活の中へ組み込む方が続けやすいと感じた。
周りから見れば変わった人
「なんで電車を使わないの?」
何度か聞かれた。
確かに時間だけ考えれば、電車の方が効率的だ。
雨の日も楽だ。
体力も温存できる。
合理性だけで考えれば、徒歩を選ぶ理由は少ない。
だからこそ、「変わっている」と思われても不思議ではない。
しかし、自分が納得して選んでいるなら、それでいいとも思う。
歩くことで街を知る
徒歩通勤を続けると、街の地理が自然と頭に入る。
細い路地。
静かな住宅街。
朝だけ営業している店。
昼になると行列ができる飲食店。
近道。
坂道。
歩くからこそ知る景色がある。
それは地図アプリだけでは分からない情報だった。
心が整理される
仕事で嫌なことがあった日。
思うようにいかなかった日。
そんな日でも、歩いて帰ると少しだけ気持ちが落ち着く。
歩くリズムに合わせて考えが整理される。
途中でコンビニに寄ったり、公園で少し休憩したり。
急ぐ必要がない時間は、意外と心に余裕を与えてくれる。
ソロログとの相性
徒歩通勤は、ソロログとの相性も良かった。
「今日はこんな店を見つけた。」
「この道の景色がきれいだった。」
「朝の空が印象的だった。」
何気ない出来事でも、一つの記事の種になる。
派手な旅行やイベントではなくても、日常の積み重ねがコンテンツになることを実感した。
歩いている時間そのものが、取材時間になっている。
頭がおかしいのか?
タイトルの問いに戻る。
「落合駅から新宿三丁目駅まで徒歩通勤する私は頭がおかしいのか?」
答えは、人によって違うだろう。
時間を最優先する人から見れば、非効率に映るかもしれない。
運動を兼ねたい人から見れば、ごく普通の選択かもしれない。
大切なのは、自分に合った生活を選べているかどうかだと思う。
私は歩くことに価値を感じている。
だから続けている。
それだけの話だ。
毎日歩くことは、小さな冒険だった
徒歩通勤は、劇的に人生を変えるものではない。
年収が急に上がるわけでもない。
特別な能力が身に付くわけでもない。
それでも、一日数十分から一時間ほど、自分の足で街を歩く時間は、自分自身と向き合う貴重な時間になっている。
歩く速度だから見える景色がある。
歩く速度だから気付く変化がある。
そして歩く速度だから生まれる考えもある。
もし「そんな距離を歩くなんて変わっている」と言われても、私はたぶん明日も歩くだろう。
それは無理をしているからではない。
歩く時間そのものが、私の生活の一部になっているからだ。
ソロで歩き、ソロで考え、ソロで記録する。
その積み重ねが、今日のソロログになる。
だから私は、これからも自分のペースで歩き続けたいと思う。


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