大学時代の日曜日を思い出すと、今なら「もっといろいろできただろう」と思う。
旅行に行く。
友達と遊ぶ。
資格の勉強をする。
アルバイトをする。
スポーツをする。
恋愛をする。
大学生には時間がある。社会人になってから振り返ると、かなり自由な時期だった。
ところが、当時の私の日曜日はそんな充実したものではなかった。
かなり単純だった。
ゲームをする。そしてオナニーする。またゲームをする。
気がつけば夕方になり、夜になる。
そんな休日を何度も過ごしていた。
今回は格好いい大学生活の思い出ではない。
むしろ、人にはあまり話さないような休日の記録である。
でも、Solo Logだからこそ、こういう何でもない過去も残しておきたい。
日曜日だからといって予定があるわけではなかった
大学生というと、毎週友達と遊んでいるようなイメージがあるかもしれない。
しかし、私の場合はそうでもなかった。
日曜日になっても特に予定がない。
誰かから電話が来るわけでもない。
自分から誰かを誘うわけでもない。
朝起きて、
「今日は何をしよう」
と考える。
そして結局、ゲーム機の電源を入れる。
ゲームを始めれば時間はすぐに過ぎる。
1時間のつもりが2時間になる。
もう少し進めようと思えば昼になる。
外に出なくても一日を過ごせるので、予定のない休日にはちょうどよかった。
ゲームは暇な大学生にとって強かった
当時の自分にとって、ゲームはかなり大きな娯楽だった。
お金を毎回使う必要もない。
一度ソフトを買えば長時間遊べる。
一人でもできる。
天気も関係ない。
友達との予定を合わせる必要もない。
大学生でお金に余裕がないときには、かなりコストパフォーマンスのいい遊びでもある。
そして何より、ゲームをしている間は暇ではなくなる。
次のステージへ行きたい。
レベルを上げたい。
ボスを倒したい。
アイテムを集めたい。
そうしているうちに時間が過ぎていった。
そしてオナニーする
ゲームを長時間していると、途中で飽きる。
そこで別のことをする。
当時の私の場合、その一つがオナニーだった。
これも別に珍しい話ではないと思う。
大学生くらいの男性なら、自慰をする人は少なくないだろう。
私の場合、予定のない日曜日は時間がたっぷりあった。
ゲームをする。
少し飽きる。
オナニーする。
しばらくすると、またゲームに戻る。
今振り返ると、本当に単純な休日だった。
誰かに見せるための生活ではない。
SNSに投稿できるような出来事もない。
ただ自分の部屋で時間を消費していた。
またゲームに戻る
面白いのは、何か大きな目的があったわけではないことだ。
ゲームを極めてプロになろうとしていたわけでもない。
一日中遊ぶと決めていたわけでもない。
ただ、他にやることがない。
だからゲームをする。
そしてゲームに飽きたら別のことをする。
その後また暇になる。
するとゲームへ戻る。
この繰り返しだった。
気がつくと外が暗くなっている。
「もう日曜日が終わるのか」
と思う。
大学生だったので、翌日は大学へ行けばいい。
社会人の日曜日ほど、
「明日から仕事だ」
という重さはなかったように思う。
だからこそ、休日をかなり無計画に使えたのかもしれない。
今なら「もったいない」と思う
53歳になった今から見ると、少しもったいなかったとは思う。
大学時代の日曜日は何十回、何百回とあった。
そのうち何回かでも別のことをしていたら、何か変わっていたかもしれない。
本を読む。
プログラミングを勉強する。
英語を勉強する。
知らない町へ行く。
一人旅をする。
アルバイトを増やす。
女性と出会う。
将来について考える。
選択肢はいくらでもあった。
当時の自分には、今の自分ほど時間の価値が分かっていなかったのだと思う。
若いときは、来週も来月も来年も当然のようにやって来る感覚がある。
日曜日を一日無駄にしたとしても、それほど気にならない。
また次の日曜日があるからだ。
でも全部が無駄だったとも思わない
一方で、
「あの時間は全部無駄だった」
と断定する気にもならない。
ゲームは楽しかった。
一人で好きなように過ごせた。
誰にも邪魔されない。
何時までゲームをしてもいい。
眠くなれば寝ればいい。
大学時代だからできた生活でもある。
社会人になると、休日でも翌日の仕事を考える。
家事もある。
お金のこともある。
将来のことも考える。
年齢を重ねれば、親や家族のことまで増えてくる。
何も考えずにゲームをして一日を終えられた時期は、ある意味ではかなり自由だった。
「何もしない休日」も大学生活だった
大学時代の思い出というと、普通はイベントになった日のことを話す。
旅行へ行った。
友達と飲んだ。
恋人とデートした。
サークル活動をした。
しかし人生の大部分は、そんな特別な日ではない。
何も起きなかった日も大量にある。
私の日曜日には、
ゲームをして、
オナニーをして、
またゲームをして、
そのまま夜になった日があった。
それも間違いなく自分の大学生活だった。
むしろ、こういう普通すぎる一日のほうが、何十年もたってから急に思い出すことがある。
今同じ休日を過ごしたらどう感じるか
もし今、同じように日曜日を過ごしたらどうだろう。
朝からゲーム。
外へ出ない。
特に誰とも会わない。
気がつけば夜。
たぶん大学時代ほど気楽には過ごせない。
「ブログの記事を書けばよかった」
「勉強すればよかった」
「外を歩けばよかった」
「何か一つでも進めればよかった」
と考えると思う。
今は時間を「何かにつなげたい」という気持ちが強くなっている。
それは良い変化でもある。
ただ、何もしない時間を楽しむ能力は、昔のほうが高かったのかもしれない。
過去の自分を責めても仕方がない
大学時代の自分に会えるなら、
「日曜日をもう少し有効に使え」
と言いたくなる。
でも当時の自分に今の価値観を押しつけても仕方がない。
20代には20代の時間感覚がある。
当時の私は、そのとき自分が一番楽だと思う過ごし方をしていたのだろう。
そして何十年後、その何でもない日曜日をブログの記事にしている。
そう考えると不思議だ。
当時は何の価値もないと思っていた一日が、今では自分の人生を振り返る材料になっている。
今だから「何を繰り返すか」を考える
昔の日曜日は、
ゲーム。
オナニー。
ゲーム。
という繰り返しだった。
今は別の繰り返しを作ることができる。
記事を書く。
公開する。
アクセスを見る。
改善する。
また記事を書く。
同じ「繰り返し」でも、積み重なった先に残るものは違う。
だから過去を後悔するより、
これから何を繰り返すか
のほうが大事なのだと思う。
大学時代の日曜日は戻ってこない。
しかし、今の日曜日はまだ使える。
まとめ
大学時代の私の日曜日は、決して充実したものばかりではなかった。
予定がない。
ゲームをする。
オナニーする。
またゲームをする。
そして一日が終わる。
今考えれば、もっと勉強したり、いろいろな場所へ行ったりしてもよかったと思う。
ただ、その時間まで否定する必要はない。
若かった自分が、自由な時間を好きなように使っていた。
それも自分の人生の一部分だからだ。
そして53歳になった今、その過去を振り返って思う。
人生は、結局「何を繰り返したか」で少しずつ形ができていくのかもしれない。
大学時代の私はゲームを繰り返していた。
今の私は別のことを繰り返している。
過去の日曜日は変えられない。
だからこそ、これからの日曜日に何をするかは、自分で選んでいきたい。


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