高校入試の国語が30点だった。落ちたと思いながら合格発表を待った一週間

Solo Emotion|ひとり感情

高校入試が終わった。

普通なら、

「やっと終わった」

と安心するのかもしれない。

私の場合は違った。

国語。

30点。

正確な点数を知った瞬間、私は思った。

落ちた。

高校入試に落ちた。

まだ正式な合格発表は出ていない。

誰からも不合格と言われていない。

しかし、私の頭の中ではすでに結果が決まっていた。

国語30点。

この数字だけが何度も頭の中に浮かんだ。

数学はどうだった。

英語は。

理科は。

社会は。

他の教科について考えようとしても、結局30点に戻ってくる。

国語30点。

私は合格発表までの約一週間、生きた心地がしなかった。

今までの人生で一週間は何度も経験している。

仕事の一週間。

夏休みの一週間。

風邪を引いた一週間。

東京で暮らす一週間。

同じ七日間なのに、高校入試の結果を待っていたあの一週間だけは、異常に長かった。

今回は、そのときのことを書いておきたい。

国語30点という数字を見た瞬間

入試が終わったあと、自己採点をした。

高校入試を経験した人なら分かるかもしれない。

試験中は、

「意外とできたかもしれない」

と思うことがある。

問題用紙を閉じる。

試験会場を出る。

友達と少し話す。

その時点では、まだ希望がある。

しかし答え合わせを始めると、現実が見えてくる。

一問。

間違い。

二問目。

これも違う。

「あれ?」

最初は軽い違和感だった。

さらに確認する。

違う。

また違う。

自分が選んだ答えと正解が合わない。

国語は、私の想像以上にできていなかった。

そして計算した。

30点。

私は数字を見た。

何度か計算し直したかもしれない。

部分点があるのではないか。

記述問題で少し点数が入るのではないか。

採点基準によって変わるのではないか。

いろいろ考えた。

しかし、どう考えても高得点ではない。

30点前後。

その現実は変わらなかった。

「終わった」

私は本気でそう思った。

高校に落ちる未来を初めて現実的に考えた

高校入試を受ける前から、不合格という可能性は知っていた。

入試なのだから、受かる人もいれば落ちる人もいる。

当たり前だ。

しかし、頭で理解していることと、自分が本当に落ちるかもしれないと感じることは違う。

国語30点。

その数字によって、不合格が突然現実になった。

もし落ちたらどうなる。

私はどこへ行くのか。

友達は高校へ行く。

自分だけ違う進路になるのか。

親に何と言われるのか。

先生はどう思うのか。

親戚に知られるのか。

近所の人は。

今考えると、必要以上に周囲の目を気にしていた。

しかし当時の私にとって、高校入試は人生最大級の出来事だった。

まだ社会人になっていない。

就職も知らない。

転職も知らない。

東京で一人暮らしをする未来も知らない。

出会い系サイトを10年以上利用する未来も知らない。

AIに記事を書かせながら自分の人生を記録する未来など、想像できるはずもない。

当時の私の世界では、高校入試が非常に大きかった。

落ちたら人生が終わる。

本気でそこまで考えていたかもしれない。

合格発表まで一週間もある

すぐに結果を教えてほしかった。

翌日でもいい。

できれば試験当日。

しかし合格発表までは約一週間あった。

一週間。

普段なら短い。

月曜日から金曜日まで学校へ行く。

土曜日。

日曜日。

それだけだ。

しかし結果を待つ一週間は違った。

朝起きる。

思い出す。

「国語30点だった」

学校へ行く。

授業を受ける。

ふと思い出す。

「落ちたかもしれない」

家へ帰る。

夕食を食べる。

テレビを見る。

少し忘れる。

そして突然思い出す。

「高校どうなるんだろう」

寝る前。

また考える。

一日の中で何度も不合格の可能性が頭に浮かんだ。

忘れようとしても忘れられない。

なぜなら結果がまだ出ていないからだ。

何もできない。

勉強しても入試は終わっている。

答案を書き直すこともできない。

国語30点を50点に変えることもできない。

ただ待つ。

私は「待つ」ということが昔から苦手だったのかもしれない。

誰かの「大丈夫」が信用できなかった

おそらく周囲の人から、

「大丈夫じゃない?」

と言われたと思う。

正確な会話はもう覚えていない。

しかし、仮に誰かが大丈夫と言っても、私は安心できなかった。

だって国語30点だ。

私の頭の中では、それが絶対的な事実だった。

「他の教科ができていれば大丈夫」

そう言われても、

「でも国語30点」

「平均点が低いかもしれない」

と言われても、

「でも30点」

「合計点で決まるんだから」

と言われても、

「国語が30点なんだよ」

頭の中で反論する。

不安になっている人間は、自分を安心させる情報より、不安を証明する情報を探すことがある。

当時の私は完全にそうだった。

国語30点。

この数字を使って、

「自分は落ちた」

という結論を何度も作っていた。

まだ結果は出ていないのに。

友達はどうだったのだろう

同じ高校を受験した友達もいたと思う。

みんな自分の点数を気にしていたはずだ。

しかし私には、他人が余裕に見えた。

普通に話している。

笑っている。

いつもと同じように学校に来ている。

「なんで普通でいられるんだ?」

そう思ったかもしれない。

もちろん、友達も家では不安だった可能性がある。

人の心の中は見えない。

今なら分かる。

しかし当時は、

「不安なのは自分だけ」

という感覚があった。

自分だけ国語で失敗した。

自分だけ落ちる。

合格発表の日、みんなが喜ぶ。

自分だけ名前がない。

そんな場面を勝手に想像した。

まだ起きていない未来を想像して、勝手に落ち込んでいた。

一週間の記憶がほとんどない

不思議なことに、あれほど長く感じた一週間なのに、具体的に何をしていたのかほとんど覚えていない。

何を食べたのか。

どんなテレビ番組を見たのか。

学校で何の授業を受けたのか。

誰と話したのか。

覚えていない。

覚えているのは、

「落ちたかもしれない」

という感情だけだ。

人間の記憶は不思議だ。

出来事ではなく、感情だけが残ることがある。

私の高校入試後の一週間は、まさにそれだった。

風景はぼやけている。

会話も覚えていない。

しかし胸のあたりが重いような感覚は、今でも少し思い出せる。

生きた心地がしない。

この言葉が一番近い。

合格発表の日が来た

そして一週間が過ぎた。

合格発表の日。

ついに結果が分かる。

私は高校へ向かった。

当時は今のように、スマートフォンで受験番号を確認する時代ではなかった。

学校へ行く。

掲示を見る。

自分の受験番号を探す。

その瞬間まで結果は分からない。

私は緊張していた。

国語30点。

また頭に浮かぶ。

「たぶんない」

自分の番号はない。

そう思いながら掲示板を見る。

数字が並んでいる。

受験番号。

私は自分の番号を探した。

上から見る。

横を見る。

数字を追う。

そして。

あった。

自分の受験番号があった。

私は合格していた。

「え?受かったの?」という感覚

大喜びした。

飛び跳ねた。

そんな記憶はない。

最初に感じたのは、

「え?」

だったと思う。

あった。

番号がある。

見間違いではないか。

もう一度見る。

ある。

自分の番号。

私は高校に合格していた。

一週間、落ちたと思っていた。

国語30点だから無理だと思っていた。

頭の中では何度も不合格になっていた。

しかし現実では合格していた。

「受かった」

少しずつ実感した。

安心した。

本当に安心した。

胸の中に一週間置かれていた重いものが、突然なくなったような感覚だった。

国語30点でも合格した理由

なぜ合格できたのか。

他の教科の点数が良かったのかもしれない。

合計点が合格ラインを超えていたのだろう。

国語の平均点が低かった可能性もある。

内申点などの要素も関係していたのかもしれない。

今となっては、細かいことは覚えていない。

ただ一つ事実として残っている。

私は国語30点だった。

そして高校に合格した。

当時の私は、

「国語30点=不合格」

という計算をした。

しかし入試は国語だけではなかった。

人生も同じなのかもしれない。

一つ失敗すると、人間はその失敗だけを見る。

仕事でミスをする。

「自分は仕事ができない」

恋愛が終わる。

「もう誰とも付き合えない」

お金がない。

「人生は終わった」

ブログのアクセスが増えない。

「このサイトは失敗だ」

一つの数字。

一つの出来事。

それだけで全体の結果を決めてしまう。

高校入試後の私は、国語30点だけを見ていた。

数学もある。

英語もある。

理科もある。

社会もある。

合計点で評価される。

それなのに国語30点だけで、自分を不合格にしていた。

私は結果が出る前に何度も自分を落としていた

今振り返ると、一番印象に残るのはここだ。

高校が私を不合格にしたわけではない。

結果が出る前の一週間。

私が自分を何度も不合格にしていた。

朝。

「落ちた」

学校。

「たぶん落ちた」

夜。

「高校どうしよう」

寝る前。

「もう無理だ」

一日に何回、自分へ不合格を出したのだろう。

しかし本当の結果は合格だった。

私は存在しない不合格に一週間苦しんだ。

もちろん、不安になるのは仕方がない。

国語30点という数字を見れば、心配する。

高校入試は大きな出来事だ。

それでも、まだ決まっていない未来を「悪い結果で確定した」と考える必要はなかった。

50年以上生きた今でも、私は似たことをする。

連絡が来ない。

「もう終わった」

仕事の反応が悪い。

「評価されていない」

ブログのアクセスが少ない。

「成功しない」

結果が出る前に、自分で結果を決める。

高校入試の頃から、私はあまり変わっていないのかもしれない。

あの一週間は無駄だったのか

では、合格発表まで苦しんだ一週間は無駄だったのだろうか。

私はそうは思わない。

今でも覚えているからだ。

高校入試そのものより、結果を待った一週間のほうを覚えている。

国語の問題は覚えていない。

どんな文章問題だったのか。

漢字は何が出たのか。

古文があったのか。

ほとんど記憶にない。

しかし30点という数字は覚えている。

そして、

「落ちたと思った」

という感情も覚えている。

人間は成功した瞬間より、成功するか失敗するか分からない時間を強く覚えているのかもしれない。

合格発表を見た瞬間。

私の一週間の不安は終わった。

しかし、その不安を経験した記憶は50代になった今も残っている。

高校入試から何十年も経って思うこと

高校入試から、かなり長い時間が過ぎた。

私は高校へ行った。

大学へ行った。

会社員になった。

仕事を変えた。

群馬で暮らした。

東京でも暮らした。

いろいろな人と出会った。

人生には、高校入試より大きな出来事もあった。

しかし当時の私にとっては、高校入試が世界のすべてに近かった。

国語30点。

落ちた。

人生が変わる。

そう思っていた。

でも私は合格した。

あのときの自分に会えるなら、何と言うだろう。

「大丈夫。合格するよ」

そう教えれば、一週間安心できる。

しかし未来の結果を教えることはできない。

だから別のことを言うと思う。

「まだ結果は出ていない」

それだけだ。

合格するとは言わない。

絶対大丈夫とも言わない。

ただ、

「お前が頭の中で不合格を決めても、本当の結果はまだ決まっていない」

と伝えたい。

国語30点だった私へ

高校入試の国語で30点。

私は落ちたと思った。

合格発表まで約一週間。

生きた心地がしなかった。

毎日、不合格の未来を想像した。

友達だけが受かる場面を考えた。

自分の受験番号がない掲示板を想像した。

しかし合格発表の日。

私の番号はあった。

合格していた。

人生は、ときどき自己採点と違う結果を出す。

自分では失敗したと思っている。

もう無理だと思う。

終わったと思う。

それでも最終結果は違うことがある。

高校入試から何十年も経った。

今でも私は、結果が出る前に悪い未来を想像することがある。

そんなとき。

国語30点だった高校入試を思い出してもいいのかもしれない。

あの一週間。

私は何度も自分を不合格にした。

でも。

本当の合格発表では、私の番号はちゃんとそこにあった。

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